ラサラス女神綺譚

第1話 スヴェン

 

 

「入れ。」
  重厚な扉を3回ノックすると、中から女性の声がした。
 高く、はきはきとした声だ。
「武術第2部隊所属、スヴェン・ブルグスミューラー、ただいま参りました。」
  正面の壁一面の窓の前には大きな机が置いてあって、声の主はそこにちょこんと座っていた。
「職務中にわざわざ呼びたてて済まなかったね。」
「いいえ、とんでもありません!」
  机の両側には、見たことのある顔。黒い短髪で眼鏡を掛けているのがルシウス武術総隊長で、淡いクリーム色の髪をしているマッチョがヒューゴ魔術総隊長。それと、黒髪を眉の位置でまっすぐに切りそろえてあるのがエグモントさんだ。エグモントさんは特に将校でも何でもないが、ガウェイン王子殿下直属の近衛隊、通称ヴァルキリー隊の隊員として有名な方だった。手合わせをしたことは一度もないが、剣の腕は国でも1位、2位を争うほどだと兵士たちの間ではもっぱらの噂だ。・・・もちろん、腕前の順番は目の前の女性を抜いてカウントしてある。
「ほら、そんなとこに突っ立ってないで早くこっちに来い」
  緊張のあまり扉のまん前で敬礼したままでいると、彼女が手招きをした。
  短く返事をして慌てて歩き出すと、ふと視界の端にもう1人の人物が目に入った。
  黒髪の青年。俺と目が合うと、彼は豪奢なソファにもたれ掛かりながら、ニコリと微笑んだ。ざんばらに結んだ髪が少し解けて乱れている様といい、首元から肌がちらりと覗く様といい、男の俺でもドキリとしそうなくらい艶っぽい。そして、彼のことも知っている、リヴァイ王子殿下だ。
「そこの男は無視しろ。いいから早くこっちに来い」
  慌ててリヴァイ殿下に敬礼をしようとしたが、止められてしまった。彼女がこの国の第2王子であるリヴァイ殿下とは随分と仲が宜しいというのはもはや周知の事実ではあったが、身分的には彼女の方が下。それなのに、こういった軽口も許されているのだろうか。婚約したとかっていう噂も聞いたことがあるし、それが事実ならおかしくない、のかもしれない。
  取りあえず足を進めつつ、無礼を詫びた方が良いのかこのままで良いのか判断を仰ぎたかったが、隊長たちもエグモントさんも誰一人として殿下の方を振り向きもしないし、殿下すら「失礼だぞー」くらいにしか言い返さない。しかも、戸惑っている俺のことは放置。

「さて、スヴェン。何故自分がここに呼ばれたのか分かるか?」
 大きな机に手を乗せ座っている彼女は、とても小さく華奢に見えた。自分と同じ制服に身を包んではいるが、顔は子どもくらいの大きさしかなく、袖からのぞく腕も折れそうなくらい細かった。
「いいえ、分かりません」
  俺は2年前に士官学校を卒業したばかりの新人兵士だ。学校の成績もそこそこくらいだったし、入隊してから何か特殊な功績があるわけでもない。さりとて、国の軍備を左右するトップの方々直々に怒られなきゃならない失態もしでかしていない。
  彼女は下を向いて、クスクスと笑った。きっと自分が何を思っているのか、分かったのだろう。
「まぁそうだろうな。まずは自己紹介からいこうか。」
  そう言って、彼女は立ち上がる。
  ・・・立ち上がっても、彼女は小さかった。俺の胸までもあるだろうか、下手したらみぞおちくらいまでしかないかもしれない。
  大きな机を迂回して、俺の前に彼女が立ち、俺の顔を見上げた。こんな近くでお顔を拝見するなんて、初めてだ。金よりも少しくすんだ淡い栗色の髪と同じ、淡い色の睫毛。長い。大きな瞳の下に影が落ちている。にっこりと笑った唇は、熟れたりんごのように真っ赤。
  こんなにも整った容姿の方、それも身分も貴族の中でもトップの位置であるのに、どうしてわざわざ戦場に身を置く必要があるのだろうか。・・・いや、それは彼女の過去に関係しているのだろうけど。それでも、普通の貴族の令嬢方と同じように、身分相応の男性のもとに嫁いだ方が女性として幸せだったのではないだろうか、と思わずにはいられない。
「この国の兵士なら知らない者はいない筈なんだが、一応な。ラサラス王国総兵士長、アリア・テオフィリア・ルクレールだ。」
  アリア総兵士長閣下。公爵家の娘。兵士どころか、国民全員知らない者はいないだろう。

 

 アリア様の生家、ルクレール家は、ラサラス王国の東の地、ザニアを治めていた。しかし隣国アルファルド帝国と内通するものが入り込み、一夜にして父上は殺され、母上とアリア様はアルファルド帝国の西、アルデバランに囚われてしまった。
  そんな母上もしばらくしたのち自害なさり、敵国で味方は誰一人としていない中アリア様は過ごされたが、それから5年後自力で脱出し、ここ、ラサラス王国へ1人帰ってきたらしい。その際の話として有名なのが、アリア様が王城で国王陛下に接見した際に仰った言葉。

「東の領地と国民を敵国に奪われ、大切な兵士を死なせてしまいました。陛下の信頼に背く結果となり、申し訳ありません」

 それを公爵家の血を引く者とは言え、たった 11 歳の子どもが言ったのだそうだ。本来なら、そのくらいの歳の子であれば、「怖かった」とか、「助けて」とか、そういう言葉を発するのが普通であると思う。それなのに、アリア様はまず、ルクレール家の失態について詫びたのだそうだ。そしてその後女性でありながら士官学校へ入学され、恐るべきスピードで同学年のご学友に追いつき、追い越し、卒業の年にはなんとかつて奪われた土地を自らの手で奪還してしまった。もちろん、入学から全てが前代未聞、王国始まって以来の話だった。
  たかが15歳の女にそんなことできるわけない。誰か参謀や実行者が別にいたに違いない、そして彼女はその誰かに担がれているだけの存在に過ぎない。そうあちこちで囁かれた。自分もそうだと思っていた。
  だって、冷静に考えたってそんな話、とうてい信じられるものではなかったから。

 

 15歳。士官学校を卒業する年。卒業するためには3週間にもわたる最終試験に合格する必要がある。その初日、俺は初めてアリア様にお目にかかった。やはり、と思った。ヒューゴ魔術総隊長のように男並みの屈強な女性であったならまだしも、アリア様は俺よりも50センチは低いであろう背の華奢な女性であった。公爵家の高貴な血を感じさせる顔立ちに、俺たち兵士は皆釘づけにはなった。なったが、ただ担ぎ上げられただけの人物が自分の上官だなんて、とても納得出来るような話じゃなかった。
  彼女は卒業前の我ら学生に向かって、「頑張れ」みたいな事を言っていた。その時はアリア様のことをただの目立ちたがりの女だと思っていたので、そんな励ましなんて馬鹿にして聞いていなかった(今では後悔している)。
  しかしその後、最終試験が始まってしばらくしたある日。ひょんな切欠から、アリア様と俺たち学生で模擬戦をすることとなった。どうせその腰の2本の剣は飾りだろう、もしくは多少使えたとしても、1対多数では多勢に無勢、俺たちが負けるはずがないとはなから高をくくっていた。しかし、まぁ、結果はアリア様の圧勝だった。
  木剣を使用してくださっていて本当に良かった。あれが真剣だったなら、きっと俺を含め同期たち全員死んでいただろう。気を失うか教官の合図があるまでは何度でも向かっていってよいというルールに則りなかなか負けを認めようとしない者もいたが、結局最後までアリア様の息を乱すことすら出来なかった。ルシウス武術総隊長もヒューゴ魔術総隊長も、誰一人としてアリア様に勝ったことがないらしいというのは、色仕掛けなんか関係なく、本当の真剣勝負の嘘紛れもない事実だったのだ、ということをその時初めて知ったのだった。
  その後アリア様は言った。お前らは馬鹿か、学校で何を学んだのだ、と。1人1人の力は弱くても、全員の頭で考え行動すれば、結果は違ったかもしれない、と。敵の力を見誤り、結果負けた。これが実際の戦争であったなら、お前たちは何も守れないどころか、大切な者が蹂躙され殺されていくのを指をくわえて見ているしかできない。何のための兵士か。私はこの国を守るいち兵士であると共に、同志を欲している。お前たちが周りの意見に惑わされることなく私を見て、兵士として共に闘ってくれるというのなら、私はお前たちを拒まない。この国を支える立派な兵士になってくれ、と。
  ちょうど綺麗な夕焼け空だったからかもしれない。単純に彼女が美しかったからかもしれない。兵士としては致命的な身長でありながら、自分の背丈をゆうに越える男たちを、息1つ乱さずに打ち負かす姿。ガウェイン殿下の治世を心から望み、最大限力になろうとするまっすぐな瞳。そして、なによりも、堂々として自信に満ち溢れた表情。俺はその時、自分のこれまでの考えを恥じた。そして、彼女に『同志』として認めてもらいたい、と思うようになったのだった。

 

 回想から戻り、俺はすぐに自分の耳を疑った。
「単刀直入に言う。お前、近衛隊に入る気はないか。」
「俺・・・わ、私がですか?!」
  近衛隊と言えば、ガウェイン王子殿下直属のもと、アリア様を筆頭に国内の精鋭中の精鋭たち数名で組織されている部隊だ。通称ヴァルキリー隊、内偵活動から単独で戦闘まで何でもこなすという。
「お前の他に誰がいるか?」
  そんなものに、俺が入るのか?入れるのか?・・・入ってもいいのか?
「・・・嫌なのか?」
「えっ?!そんな、嫌などとんでもない!」
  兵士たちの憧れの的、ヴァルキリー隊。入れるものなら入りたい。しかし、頭に浮かぶのは、士官学校を卒業したての俺なんかに務まるのだろうかという疑問だ。
「じゃあどうするんだよ。はっきりしろよクソ野郎が!」
  アリア様の眉間に皺が寄った。そうだった、この方に見かけどおりのたおやかで女性らしい言葉遣いを期待してはいけない、と聞いたことがあったのだった。
「大変光栄なことであります!しかし、私のような若輩者に務まるのかどうか・・・」
  正直な心境だった。それでも、アリア様は俺の心中など察しては下さらない。
「ごちゃごちゃうるさい!やるか、やらないか。それだけを聞いてるんだ。私はお前のお守り役じゃない。てめぇの事はてめぇが一番良く知ってるだろ。荷が重いんなら、他のやつをあたる。もういい、さっさと
「やります!やらせてください!!」
  アリア様が扉を指そうとしたので、慌てて告げた。
  もちろん、俺なんかがいいのだろうかという思いはある。けれど折角、目の前に落ちてきた僥倖。チャンス。俺はなんとしてでも掴みたかった。
  叫んだ言葉に、アリア様はしばらく俺を睨みつけたままだったが、それでも俺が動じないのが分かると、ニヤリと口の端を上げた。
「・・・やるんだな?」
「はい!微力ではありますが、命を賭け責務を果たします!」
  やれるかどうか、そんなことわからない。でも、やらなくちゃならない。
  自分の返事が耳に入ったアリア様は、どうしてか上がっていた口元をすぐに下げた。見つめる眼光が鋭い。思わず目を逸らしたくなるほどだ。
「お前の力は微力なのか?」
「・・・は?」
「微力なら、いらない。」
  え、今、なんて?どういうこと?さっきの俺の決断はなんだったのだろう。
  手のひらを突然返されて、俺はリアクションが取れない。
「お前を近衛に推薦したのは、ルシウスだ。エグモントも認めた。それなのに、自分は微力だと・・・?」
  ルシウス総隊長が、自分を?立場も違うため会話らしい会話などしたこともなかったのに。いつの間に見ていて下さったのだろうか。
  彼の方に目をやると、目が合った。その時の俺は一体どんな顔をしていたのだろう、総隊長は困ったような顔を一瞬見せてから、溜息をついた。
「・・・アリア。そのくらいにしてやれ。・・・可哀想だろう」
  ルシウス総隊長に続き、エグモントさんも言った。
「今のスヴェンのはただの謙遜さ。そんなに噛み付いてどうする?」
「自分の事が微力だなんて言ったら、推薦してるお前らに人を見る目が無いと言ってるようなもんだろ?それは私はちょっといだたけない」
  アリア様が反論すると、今度は後ろのソファから高らかに笑う声がした。
「あはは!ルシウスもエグモントも、アリアにそんなに庇ってもらえるなんて妬けるなぁ!」
「うるさい!リヴァイは黙ってろ!」
  ・・・また王子殿下に凄い口を・・・。俺には間に入れない。
「ただでさえアリアはちんまいのに、そんなに声を荒げたってただ子犬がキャンキャン咆えてるようにしか聞こえないよ?」
「ちん・・・・・!ひゃ、・・・ 150 あるし・・・」
「あーははは!ないの知ってるよ!本当は 149 だろ?」
  あんなに感情のままに笑っている殿下が心から羨ましい。自分は立場上笑えない。腹の底から込み上げてくるものを、絶対に口から出してはいけないことは嫌でも分かるから。それでも 2 人の言い争いは止まらない。
  ・・・というかアリア様、 150 ないのか。ラサラス人なら女性でも大抵は 160 センチはあるから、随分と飛びぬけて(飛びぬけないで、と言った方が正しいのだろうか)小さいなぁとは思っていたが、まさか。
「し、四捨五入したら 150 だろうが!」
「意地張っちゃって、可愛いねぇ〜」
  そう言いながら、リヴァイ王子殿下は歩いてくる。
  アリア様の前を通り越し、ヒューゴ総隊長の前へ行き、何を思ってか彼の手を取る。そして、その手とアリア様の左手を繋がせる。・・・何をしているんだ?
「はい、ヒューゴはこっちの手持っててね。それで俺がアリアの右手を繋いで・・・はい、囚われた宇宙人。」
「ブフォ!」
  ・・・やってしまった。慌てて咳き込んだふりをするが、絶対これはばれている。ああ、折角の引き抜きの話も、これで白紙に戻っただろうか。不幸中の幸いは、どうやらルシウス総隊長とエグモントさんも噴き出していたってことだろうか。
  恐る恐るアリア様を見る。 2 人の手を引きちぎるように離したアリア様の顔は、真っ赤になっていた。・・・可愛い。やばい。これは惚れる。
「・・・リヴァイ殿下、もうその辺で終わりにしてください。話が進みませんので。」
  エグモントさんが冷静にたしなめると、殿下はちょっと残念そうだった。
「アリア。それでどうなんだよ。スヴェンを入れるのか、入れないのか。早く決めろ。」
「ルシウスとエグモントの推薦だし、私は反対しない。こいつにやる気があるかないかだよ、私が気にしてるのは」
  エグモントさんはアリア様の士官学校の同級生だそうだ。ザニア奪還の際も、アリア様と肩を並べて闘ったと聞いた。きっと深い信頼関係にあるのだろう。
 まだ顔に赤みの残ったままのアリア様の目が、再びこちらを向いた。俺が噴き出してしまった事は特に問われないようで、ひとまず安堵する。
「命ぜられた任は忠実にこなし、一日も早くアリア様に信頼頂けるよう身を粉にして働きます!」
  腕を組み、机に軽く腰掛けるアリア様の瞳が煌いたような気がした。ニッコリと笑って、その言葉に偽りはないかと聞かれた。もちろん、ないと答える俺。
  俺の胸に拳(こぶし)が当てられた。ドン、と体に響く。
「スヴェン・ブルグスミューラー。お前の命は私が預かる。お前が私の指示通り、私の手足となって動くなら、国の為、同志となって闘おう。」
  『同志』として。
 俺はこそ言葉が欲しかった。
「今日からお前も近衛隊隊員だ。歓迎する。」
  アリア様に『同志』として認めていただきたい。その一歩が、始まった。

 

2013 July 8 芹沢アツキ


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