ラサラス女神綺譚

第8話 アリア

 

 

 最後に見た父は、胸に剣をつきたてられている所だった。扉の傍にいる私を見つけ、何か言いたそうだったが、その口からは赤い血が沢山溢れ、言葉を出せぬまま地面に倒れ動かなくなってしまった。

 最後に見た母は、口の端が赤く切れていて、頬には殴られて出来た青あざがあった。私にだけ聞こえる小さな震えた声で 13 までには何としてでもラサラスに戻るように言うと、すぐに見知らぬ兵士に連れて行かれてしまった。その後しばらくして、自害なさったと聞かされた。最後に会った日、私のことを抱きしめては下さらなかった。私に穢れが移ってしまうから抱きしめてあげられないと仰った。その意味が分かったのは、数年の歳月が経ってからだった。

 私はラサラス王国ルクレール公爵家の娘。たとえアルファルドの地であっても私の血には政治的な利用価値があったらしく、ザニアと隣接する地方都市アルデバランの貴族の息子に宛がわれようとしていた。

 私の夫になる予定の男は、私より7つ年上の男だった。名はマトセオス。私を見るたびに気味の悪い笑みを浮かべ、上から下まで舐めるようにジロジロと値踏みしていた。 10 歳になって胸が膨らみだしてからは、その気味悪さは更に加速した。「ラサラスから奪った姫がこんなにも美しく成長したのは嬉しい誤算だった。お前には俺の子を産んでもらうが、ただ産ませて捨てるのではもったいない。さんざん可愛がってやろう。」母の仰った「 13」という歳を待たず、出来るだけ早くここを出たほうがいい。そう確信した。

 そしてその思いを実効に移したのは、 11 歳、激しい雨の降る夜だった。マトセオスたちが帝都サルガスへ出かけて不在の日と、大雨が重なった。サルガスへは慣例として幾人も兵士を連れていくので、普段より城の警備がおろそかになる。私はその日を狙っていた。

 クローゼットからドレスを出し、布団の中に入れる。切った髪を枕の上に乗せれば、私が寝ているように見えた。私に与えられた部屋は 4 階で、きっとまさか窓から抜け出るとは思わなかったのだろう、窓に格子も鍵もなかった。窓をこれまでと同じように閉め、煉瓦で出来た壁をつたって地面へ下りた。その日は森の中を夜通し歩いた。

 翌朝、雨が上がった。きっと私がいないこともばれている頃だろう。腰まであった髪は今では肩のあたりまでになっていたが、更に短く切った。濡れないようスカートの中に隠していた鞄を取り出し、そこに入れていた服に着替える。地味な色のドレスを切り、誰にも見つからないように作っておいたズボンとシャツ。これで『アリア』という娘は少年にしか見えなくなるだろう。

 ラサラスに戻る最短ルートとしては、アルデバランを南西に抜け、ザニアの下にあるシュルマに入るルート。しかしそれが最短ルートであることはアルファルドの者にだって分かることであり、もしかしたら警戒網を敷かれているかもしれなかった。また、国境を無事抜けたとしても、ザニアのようにアルファルドの内通者が何人も入り込んでいるかもしれない。私は安全策として、アルデバランを北西に向かってアークツルス王国へ一旦入り、そこから再び西を目指しラサラス王国のポルックスへ抜ける道を選んだ。アルファルドとラサラスは国交は無いに等しいが、アルファルドとアークツルス、またアークツルスとラサラスは国交があったため、出入国の難易度で言えばアークツルスを経由したほうが遥かに容易かった。

 アルデバランで軟禁されていた部屋は元々古い書庫だったようで、ベッドのすぐ横には私がいくら背伸びしたって届かないような本棚がそびえ立っていた。私は夜毎そこにあった本を読み漁り、ありとあらゆる知識、もちろん脱出への知識も含むものを深めていったが、他人の前では決してそんなそぶり見せなかった。わざわざ付けられた家庭教師(マトセオスの妻として社交界に出る可能性を考えてのことだろうが)の前でも無知を装い、何度教えられても覚えられない鳥頭の娘を演じた。その甲斐あってか、アークツルスへ向かう道では私を追っているような兵の姿は全く見かけなかった。

 ポルックスに入国し、私はグラディシバ家の城を目指した。グラディシバ家の当主であるヴィクトール参謀長と私の父上は士官学校の同期で仲も良く、幼い頃に何度か会ったこともあった。あれから 5 年、そしてこの見た目を彼が分かって下さるか疑問もあったが、それでも彼に賭けるしかなかった。

 ヴィクトールは私を見て、最初は半信半疑だった。無理もない、あの時の私はみすぼらしい、痩せこけた少年だったのだから。私は着ていたシャツを脱いだ。女であることを、手っ取り早く乳房のふくらみで証明するためだ。

「ヴィクトールおじ様、ご無沙汰しております。ヘルメス・アキ・ルクレールの娘、アリア・テオフィリア・ルクレールです。・・・まだお疑いなら、下も脱いでご覧に入れましょうか?」

 泥や埃にまみれた少年の口からは想像できないような上流階級の言葉遣い。彼ははっとして、すぐに私に上着をかけてくれた。

「分かった。分かったよ、アリア。疑って申し訳ない。しかし君は・・・」

 『アリア』は今、アルファルドの地にいるのではなかったか。ヴィクトールはそう聞きたいが、経緯が経緯なので私を傷つけないよう言葉を選んだ結果、何と言えばよいのか分からない様子だった。私は自ら進んで言った。

「父を殺され、母も自害し、ひとりアルファルド帝国アルデバランに囚われておりましたが、この度ラサラスに帰還いたしました。これから王都シャウラに向かい、一連の不始末を国王陛下にお詫び申し上げたく存じます。ヴィクトールおじ様には大変申し訳ありませんが、わたくしをシャウラまで送ってはいただけないでしょうか。・・・ご無理のようでしたら、わたくしひとりで向かいます。」

 彼の耳にもきっと父の死の知らせは届いていただろう。しかし信じていなかったのか、私の言葉に衝撃を受けていたようだった。そして静かに頷き、私の自分勝手な願いを聞き入れてくれた。

「分かった。君の言うとおり、国王陛下にお会いできるよう私が取り計らって差し上げよう。しかし、その前にゆっくり休みなさい。陛下には手紙を出しておくから、しばらくこちらで休んでから行こう。」

 私は一刻も早く王都へ行く必要を感じていた。しばらくなんて休んでいられないとヴィクトールに言ったところ、 3 日ほどポルックスに滞在したのち、ヴィクトールと共に王城へ向かうことになった。

 ヴィクトールは現国王陛下の姉君と結婚していたが、子どもに恵まれることはなかった。女でありながら短く髪を切り、棒のように痩せこけた私を見て、奥方様は涙を流された。そして私のことを、力いっぱい抱きしめて下さった。あの日の母が脳裏に浮かび、私は涙が出そうになった。しかし、出さなかった。

 母が死んだと知らされたとき、私は決意したのだ。全て決着が付くまで、絶対に涙を流さないと。そして、その決着は自分で付けるのだと。

 

 

「おい、アリア!人を呼んでおいてうたた寝とは随分だな」

 気がつくとそこは執務室で、私は 23 歳の私だった。

 昔の夢を見ていたのか。

「うわっ、ヨダレが垂れてるぞ!汚ぇな…」

 目の前でエグモントが騒いでいる。うたた寝してりゃヨダレだって零れるだろうに、うるさいな。

「・・・おい、その書類・・・・」

 私は書類を敷いたまま寝ていたようで、その書類の上には私の新鮮なヨダレ。そしてその書類の制作者は、目の前にいるエグモント。

「ああ、ごめん。汚れちゃったな。悪いけどもう 1 枚作ってきてくれるか?」

「・・・お前、そんなことのために俺を呼んだのと違うよな?」

「そんなわけないだろ!書類を駄目にしたのはお前を呼んだ後だ!」

「偉そうに言うことかよ!!」

 エグモントとは、王都の士官学校で出会った同期だ。想いを寄せる女がいるくせに、私に取り入ろうとやたら絡んでくるやつだったが、あいつはあいつでいろいろ辛い所があった上での行動だと分かっている。それに、腹を割って話せばなかなかにいい奴だし、私が近衛隊に指名したほどの剣の腕前もある。

「アリア!エグモントに何かされてない?!」

 力任せに開かれた扉は、とても大きな音で注目を促した。酷く慌てた様子で入ってきたのは、いつもこの部屋に入り浸ろうとしてくるあいつだ。人をイラッとさせることに長けているとは常々思ってはいたが・・・

「されるわけない!」

「・・・リヴァイ殿下は何しに来たんですか?俺はアリアに直々に呼ばれたからここにいるんですけど」

 そう言えば、リヴァイとエグモントはあまり仲が良くないみたいだ。よく喧嘩してるのを見るんだが、偶々なのだろうか。あと、私とエグモントが一緒にいると、リヴァイがやってくる頻度が高い気がする。・・・ただの気のせいか?

「私はリヴァイの事なんか呼んでないぞ?お前ちゃんと仕事してるのか?」

「・・・アリアがキスしてくれたら仕事がはかどる気がする」

「お前にキスしたことは一度もないし、これからもすることはない。ガウェインに失望される前にとっとと帰れ。」

 最近、リヴァイのからかいにあまり動じなくなってきた気がする。我ながら進歩したと思う。

「アリア!」

 ヨダレの付いた書類をどう誤魔化そうか見つめていたら、隣からエグモントの声がした。

 耳元で風の動く気配がして、頬に何かが触れた。

「・・・エっ…?!」

 一瞬だったが、エグモントのキスだった。

 びっくりして固まった私をニヤニヤしながら見ている。

「書類、作り直してきてやる。キスはその対価だ」

 は・・・はぁ?エグモントって、そんなこと言う奴だったか?あ、ああ、そうか。リヴァイに対する嫌がらせか。

 エグモントが出て行っても固まったままのリヴァイの処理に困ったが、まぁこいつのことだ、そのうち帰るだろうと椅子に腰を下ろそうとしたところ、リヴァイがこちらを向いた。

「アリア」

「何だ」

「・・・エグモントとはどういう関係だ」

「は?」

「エグモントには許しているのか?」

「何をだ。どういう意味だ」

「話を変えよう、アリア。」

 リヴァイがコツコツと歩み寄り、私の机の上に両手を付いて身を乗り出した。あ、そこの書類私のヨダレが付いたやつなんだけど・・・まぁいいか、指摘するのも面倒臭いし。

 いつもになくリヴァイが真剣な顔で言った。

「アリア、俺の妃になれ。」

 こいつ、とうとう壊れたのか?

「これ以上はお前の身が危ない。俺が守ってあげるよ」

 あまりにも突拍子のない言葉に、私は大きな声を上げて笑ってしまった。は、腹が、腹が痛い。

 ひとしきり笑ってから、私は腹筋を擦りながらリヴァイの手を取った。

「リヴァイ、こちらへ。」

 机を回り、いつものソファに腰掛けさせる。リヴァイの額に自分の額を当ててみた。

「・・・うん、熱はないね」

 再び見たリヴァイの顔が、何故かさっきよりも赤くなっている。・・・やっぱり熱があるのか?

「・・・リヴァイ、本当に大丈夫か?どこか痛いところでもある?」

「い、いや、・・・ない。」

 それなら安心だ。こんなやつでも王子殿下だ。何かあったら大変だ。

「取りあえず、ここに横になれ。さっきはお前の気持ちも考えず適当なこと言って悪かった。ごめん。きっとお前は疲れているんだ。ちょっと寝た方がいい。」

「・・・だったら、アリアが膝枕してくれ。」

 いつもだったらそんな申し出は一蹴して終わりだった。今回もそうしようとした。だが、リヴァイの様子がおかしかった。いつもより顔が赤い。ちょっと目も伏せ目がちだ。本当にどこか悪いのだろうか。

「分かった。してやるから、少し大人しくしてろ。」

 私は腰に付けていた剣をベルトごと外した。これがあってはゴツゴツしすぎて寝心地が悪いだろうから。それに、どうせ外したところで私には問題ない。

 ソファの端に座ると、リヴァイが頭を乗せてきた。もう一度額に触れてみる。・・・さっきより熱い。

「医師を呼んで来ようか?」

「いい。それよりアリアのキスがあれば

「寝てろ!」

 折角心配してやっているのに、リヴァイの軽口は直らないらしい。

 まったく、こいつは何しに来たんだろう。

 窓の隙間から入ってくる風が、前髪をくすぐる。

 

 リヴァイの頭を膝に乗せたまま、そよ風の心地よさに私も眠りに入ってしまった。

 この後ガウェインとクレメンスに見られるなんて知らずに。

 

2013 September 22 芹沢アツキ


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