兎が海に溺るるが如く

第1話 訪問者

 

 

 サジュマン城城主、アデルバート・ベアントセン。彼のもとに夜、思わぬ訪問者がやってきた。

  警報のベルが城内に一斉に鳴り響く中、両開きの扉が勢い良く開けられた。

「中将!何事ですか?!お怪我はありま・・・」

 彼の目にもまた、思わぬ訪問者が視界に入り、言葉を失ったようだ。一方で城主は落ち着いたままに返答をする。

「私は大丈夫だ。それよりも上客がいらした。」

 テーブルクロスはぐちゃぐちゃに乱れ、あちこちに血が飛び散り、書類も散乱している。そして、その先に 1 人。

「なんですか、この血の量は・・・」

「騒ぐな。至急医務室に連絡、医師も含め数名を寄越すように。警報も止めてよい。」

「は、御意!」

 ベアントセン中将は、去っていく兵士の方を見ることもなく、『上客』に近づいていった。

 あちこちが切り裂かれ、血に染まった制服。元の色は、かろうじて葡萄色と分かる。この色の制服は、この世に 1 つしかなかった。胸元の勲章と襟に付けられた飾りが、推測を確定へと導く。

「ミスティック様とお見受けする。何故ここに、このようにいささか派手すぎる侵入を試みられたのか、是非ともお話を賜りたい。」

 ミスティック。 M 機関所属部隊、『ミスティック』。

 この世界は3つの星から成る。驕りと共に発展してきた貪欲な星テラ、海に沈んだ星オキア、そしてすべての生まれた星ガイア。ミスティックとは、これらの世界から選ばれる高度な技術と豊富な知識を持った魔法使い精鋭部隊の名。実際に戦闘に参加する者は、その中でもたったの 13 人。類稀な才能を持った天才たちばかりだった。

「ここは、どこ」

 力を振り絞ったように出た言葉。このミスティックは、自分の場所を把握していないのか。ベアントセン中将は、少し読みが外れたようだ。それと同時に、小さく安堵した。

「蘭国焔州第 1 地区、サジュマン城の一室です。落城が目的でないのなら、まずはあなたの治療を優先させましょう」

 

 

 

「失礼いたします。医務室副室長、朔・メルカです・・・ミスティッ・・・ゆ、楪さん?!」

 屍のように動かない『上客』を見て、青年医師は声を上げた。

「この者を知っているのかね?」

「中将、この女性は焔に住んでいる『楪・シセ』さんです。画家だ、と聞いています。」

 手首で脈を計る。細い手首だと、朔は思う。どうやらかろうじて生きてはいるようだ。

「ゆ?ゆずりは・シセ?その名のこの女性は助かりそうか?」

「助けて見せます。とにかく、すぐに治療にかかります」

 ふと、ベアントセンは楪が散らばらしてしまった書類に目をやった。彼女の体の下敷きになったまま、血がべったりと付いてしまっていた。

「・・・今回のことは、他言無用。城内で緘口令を敷く。よいな」

「御意。」

 担架に乗せられた際に小さく「う」と漏らしたきり、彼女は呼び掛けには答えなかった。

 

 

*  * *

 

 

 暗闇から、声がした。

  ―どうしたんですか?・・・ユズ、泣いているんですか?

「いいえ、泣いてないわ。」

  ―じゃあ、どうしてそんな悲しそうな顔をしているんです?

「ちょっと、考えているだけ。」

  ―何を考えているのか、私にも教えて頂けませんか。

「・・・わたし、わたしには、しなければならないことがあるの。でも、本当は、・・・出来ないのかもしれない。」

  ―しなければならないこと?

「そうよ。出来ないのなら、私には生きている意味がない」

 

 目を開けると、そこは暗闇ではなかった。白い部屋。緩やかな風が頬をなでる。ぼんやりと天井をながめていた楪であったが、ふと、あることに気がつく。

 白い部屋が、いつまでたってもはっきり見えないこと。全てがぼやけて、何の形もつかめないこと。視力が、落ちているのだ。

 私はなぜ、ここに寝ているのか。いや、そもそもここはどこなのか。

「いっ・・・」

 手を動かすと、鋭い痛みが走った。手のひらと、二の腕と、肩。そして、痛みに顔をしかめたとき、顔もどこか引き攣れているのを感じた。

 そして、思い出す。『あの男』に遭い、自分は大怪我を負わされ、命からがら逃げてきたのだということを。

「気がついた?」

 誰もいないと思っていた空間から、男の声がした。『あの男』、ゼフォンか?

 楪はベッドの上で身構えたが、記憶の中に鮮明に残っている声と、目の前の男の声が一致しない。

「はは、そんなに怯えないでいいって。」

 笑いながら、男が近づく足音が聞こえる。

「だ、誰!?」

 楪は声を上げた。威嚇のため腹に力を入れたが、どうやら腹にも傷を負っているようで、思い通りの声がでなかった。少しかすれて、みっともない声だった。

「俺は、ここサジュマン城の医師、朔・メルカです。君の治療を担当しました。」

 一方の彼は、優しい、穏やかな声。

「・・・お、怯えてなんか、ないわ」

 楪は朧ろげな輪郭を睨みつけた。あまりに朧ろすぎて、彼がどんな風貌をしているのかすら分からないため、もしかしたら目が泳いでいる印象を与えたかもしれない。それでも、楪には他に身を守る術が思い浮かばなかった。。

「・・・楪(ユズリハ)さん、だよね?」

 彼の口から当たり前のように自分の名が出てきたことに驚きつつも、楪は平静を保とうとした。

「・・・どうして私の名を知っているの」

「あれ?君、自分が有名人だって知らないの?」

 やはりゼフォンの関係者なのかと思ったが、すぐにその思惑は外れた予感。そして、新たな話の流れが、なんだか読めなくなりそうな予感もした。

「有名人?」

「そうだよ。君、画家なんだって?雑誌の表紙も飾ったらしいじゃない。・・・あ、包帯かえるから腕出して」

 雑誌の表紙。気まぐれに出した展覧会で特選を取ってしまい、芸術系雑誌に若手の注目株として、先月掲載された。しかも、あれだけ顔写真は小さいカット、1つだけと頼んだのに、結果は表紙にどーん。さぞかし販売部数も落ち込んだことだろう。

 なんて考えているうち、気付いたら手に誰か―目の前の『朔・メルカ』と名乗る男のだろう―が触れる感触。

「こら、引っ込めないの!安心しなさい、変なことしないから。傷口が開くよ!」

 徹底的に反抗したかったが、あることが楪の頭を過ぎった。

「今日は、何日?私は何日寝ていた?」

「 7 月 14 日。君がここに飛び込んできてから 4 日目。それにしても酷い怪我だね。もちろんまだ全然治ってないけど。」

 4 日も寝ていたのか、と思う反面、たった 4 日しか経っていないのか、とも感じた。前回ゼフォンと退治し大怪我を負わされた時は、 15 日間意識が戻らなかったのに、今回はやけに回復が早い気がしたからだ。記憶を辿るに、今回も前回と同じくらいの怪我だろう。それなのに、この差はなんなのだろうか。偶然、私が起きただけ?

 カチャカチャと、金属が触れ合う音が響く。ふと、口を開いたのは朔だった。

「楪さん。君、目が見えないの?」

 睫毛の重さに閉じかけていた目が、心臓の鼓動と共に開いた。

 この男は、ここをサジュマン城だと言った。それが真実なら、楪は自分の住む蘭国焔州第1地区に帰還できたということだ。しかし、本当にサジュマン城である保障などどこにもない。ゼフォンの手の内の者であるとか、ミスティックである自分を利用しようとしている者の居所かもしれないのだ。

 そんな中で、自分の弱点を握られてはいけない。悟られては、命の危機に繋がるのだ。

「大丈夫。」

 動揺する楪に、彼は優しく言った。「誰にも言わないよ」と。

「君も安心して、怪我を治すといい。中将にも面会は君が回復するまで待ってもらってあるから、しっかり寝て、しっかり回復してね。」

 中将、とは、ここサジュマン城の城主であり、蘭国随一の焔州軍を束ねる司令官アデルバート・ベアントセンのことだろう。サジュマン城は焔州軍の本部になっており、軍事練習場から宿舎、研究施設、そして今楪がいるような医療施設等様々な施設が揃っていた。東西に伸びた城の中心の検問を通ると、蘭国の首都『梨露(リロ)』に繋がる。首都へ入るにはこのルートしかなく、焔州サジュマン城は国防の要所として重要な役割をになっているのだった。

「わ、わたしは!」

 楪は反論しようとしたが、彼に遮られる。

「いいよいいよ、そんな大きな声出したら、腹の傷に響くでしょ?もう一度寝なさい?起きたら何か消化のいいものでも持ってくるから、少し食べたらいいよ」

「・・・いりません。」

「食べなさい。ていうか今は寝なさい。」

 テキパキと両腕の包帯を替えたあと、彼は「おやすみ」と言い、あっさり部屋を後にした。

 扉が開いて閉まる音がして、その後足音が完全にしなくなるまで待ってから、楪は大きな溜息をついた。

 声からして、おそらく青年。20代中ごろ、といったところか。彼の言ったように、本当にここはサジュマン城なのだろうか。それとも私はまた、騙されているのだろうか。

 考えをめぐらす前に、力尽き、再び楪は深い眠りに落ちた。

 

2013 November 19 芹沢アツキ


トップ  戻る  次へ