兎が海に溺るるが如く

第3話 moon

 

 

 今夜は満月。月が最も丸く満ちて、そして欠けていく日。

 月が満ちるのに合わせて体内のマギもどんどん増えていき、満月の日は、体中のマギが最も活発に蠢く日。マギ自体に意思があるかのように、楪に魔法を使わせようとするのだった。

 もともと楪の体内のマギ容量はミスティックの中でも群を抜いて大きく、湯水のように魔法を使ったとしても、空っぽになることなどなかった。

 そして、円がまた細く欠けていく瞬間、堰を切ったように楪の体内のマギも零れていった。マギはいつも、楪の口から零れた。血と一緒に、喀血するように。

 

 憂鬱だった。

 まず、通院しなかったことを叱責されるだろう。傷が開いたことも叱責されるだろう。ついでに、こうなる前に早めに受診しようとしなかったことにも叱責を受けるだろう。しかし、楪の口からは、溜息すら出なかった。

 郊外にある楪の家からサジュマン城まで出てくるのに、2時間。外の気温、35度。傷口を押さえる手が湿っている気がする。城内に設置された椅子に腰掛けたら、どっと疲れが出て、動けなくなってしまった。足に力を入れれば立ち上がれるのだとは思うものの、力を入れると多分、今以上にどばっと出血する。城のロビーから医務局まで、まだ歩いて5分はかかるだろう。5分。自分が耐えられるか分からない。

「あの・・・」

 頭上から声がした。軍服を着た男だ。肩についている腕章から察するに、ここの警備兵だろう。

「体調がよろしくないのですか?その・・・顔色があまり・・・」

 ここで素直に医務局に人を呼びに行って貰えばよかったのかもしれない。しかしこのとき楪は、ここで騒ぎを起こしては他の人に怪しまれる、と思ってしまったのだった。

「いえ!あの、大丈夫です!ちょっと外が暑かったから!」

 そう言って、楪は慌てて立ち上がった。腹に痛みが走ったが、表情に出さないよう、額には脂汗をかきながらも涼しい顔をして西廊下を進んだ。

 が、数メートルしか進んでいないうちに、地面にへたり込んでしまった。太ももを血が伝う感触。

 近くに立っている、別の警備兵が近づいてきた。

「どうかなさいましたか?」

「すみません・・・い、医務局に、連れて行ってください・・・」

 ふと足下を見たら、白いマントに血が滲んでいた。マントの繊維が血を吸い込み、花びらの模様を描きながら広がっていく。そんな様子を見たところで、視界が暗くなり、すぐに何も分からなくなってしまった。

 

 

 そういえば退院する日、楪のもとへサジュマン城の城主が挨拶に来た。アデルバート・ベアントセン中将。黒い髪、黒い髭の壮年男性で、焔の城主たりうる眼光を放っていた。ミスティックである楪の保護について M 機関にすぐさま報告しなかったことの言い訳をなにやらしていたが、突き詰めるとミスティックに『瀕死の怪我を治療した』ことで恩を売り、パイプを作っておきたかったからだろう。

 ミスティックはガイア、オキア、そしてテラの3世界のうち、どこの出身者でも能力と知識さえ足りていれば入隊することが出来、母体の M 機関はどこの国からも干渉を受けないことになっている。が、資金的な援助や研究の支援をしてくれる国に対しては、対価として派兵を積極的に行う、というのが暗黙の了解であった。ミスティックを敵に回し、万一剣を交えるようなことになった場合、国など簡単に滅びてしまうが、その逆、味方に付ければ心強いことこの上ない。もちろん、それがたったの1人であってもだ。きっと、この男もそれを図ったのだろう。そして、もう1つ彼には意図があった。

「あなたは現在、ご病気なのでは?」

 楪はそう聞かれ、眉間に皺を寄せた。「なんのことです?」と。

 楪が怪我を負って飛び込んだ部屋は、城主の執務室だった。書類や絨毯、テーブルクロスに沢山血が飛び散っただろう。その様を、つまり、飛び散った血が奇妙に滲んでいく様を、彼も見たのだろう。そして、ある事と繋げ、推測したのだろう。

 しかし楪には、その問いに対する明確な答えを持ってはいなかった。楪は、自分の出生について詳しくない。実の親に捨てられたことと、自分の名前。その2つ以外には何も知りえず、養母に魔女として育てられていた。もちろん、自分でももしかしたら、と思う節はあった。しかし、楪にとって出生などどうでもよく、『今』が何よりも大事だった。

 きっと、サジュマン城の医師たちは、楪の怪我を治療するにあたり、彼女の奇妙な血を見ただろう。花びらを描きながら滲んでいく様を見て、何を思ったのだろうか。 しかし、答えを聞くのは怖かった。自分が何者なのか、そして未来を知ることが怖かったのだ。

 

「あ、起きた」

 目を開けると、男の声がした。真っ白な視界に、金色の髪が映りこんだ。目が合うと、金と銀の瞳が揺れた。

「おはよう。気分どう?」

 手のひらに温度を感じる。彼の、朔の手が重なっていた。

「ええと、・・・その・・・?」

「血だらけの君をここまで運んで、開いた傷を閉じておきました。何か質問は?」

 自分の血を見て何か思うところはあるか?そう聞きたかった。でも、口からは別の言葉を出した。

「いろいろと、申し訳ありませんでした」

 悪魔の手先のような自分とは正反対の、天使のような容姿をした目の前の医師。楪としてはこういったある意味『光属性』的な人物と関わりを持つのは非常に苦痛だったが、それは相手としても同じことだろうと思っていた。

「うん。さて、どの辺りが申し訳ないと思うに至ったのか、是非ともご説明いただきたいのだけど?」

 さくさく済ませて帰りたいところ、思いがけずに朔から質問が投げかけられた。

「いえ、その、・・・傷が開いてしまって、また先生の手を煩わせてしまって・・・」

「手を煩わせるとか、そういう事を思うのであれば、最初に決めたとおりきちんと通院してくれればよかったんだけど?」

「いや、でも、通院は通院で先生にわざわざ時間を割いて診てもらわないといけないわけで・・・」

 ちらちらと伺う朔の顔は、少しずつ固くなっていく気がする。楪にはその理由が分からない。

「ちょっと待って。つまり、君は通院の約束をぶっちぎった事については悪いとは思っていないということ?」

「だって、私の診察より他の事に時間を費やした方が、先生にとって随分有意義になるし」

「有意義?君を診察するのは意義のないこと?」

「・・・先生だって、私のように気味の悪い人間の治療なんて、したくないでしょ」

「・・・は?」

 声の様子から、朔が不機嫌に、というか、怒っていることは分かるが、楪にはその原因に思い当たる節などなかった。

「私、見た目もこんなに醜いし、沢山の命を奪ってきている殺人者だし、呪われた血だし・・・。先生のような心も身体も血も綺麗な人は、私に触れただけで、・・・汚れてしまうでしょ?」

 重ねられている手を静かに離そうとしたとき、朔の手に力が入った。

「そんなことない!」

 ぎゅっと、これまでにないほどの力を込め、朔は楪の手を握った。

「・・・そんなことない。絶対に、ない。」

 繰り返す朔の金と銀の瞳が、楪を見つめる。あまりに真剣に直視され、楪は目を逸らせない。

「気味が悪いとか、醜いとか、呪われてるとか。俺は、君のことをそう思ったことは一度もない。可愛いとか、綺麗とか思いこそすれ、君に対してそんな負の感情を抱いたことはないよ。」

 お世辞なのは明白であったが、それでも彼ほどの麗人にこう面と向かって言われては、照れない方がおかしいだろう。頬がかぁーっと熱を持っていくのを感じつつ、ぎこちなく視線を逸らしながら何て返したらよいのか真っ白の頭で考えていると。

「・・・そんなに照れること?」

 若干引き気味の朔を、楪はキッと睨み付けた。

「あ、当たり前です!私が言われ慣れてるわけないじゃないですか!」

 朔は顔の割りに意外と意地が悪いのだな、と楪は捕らえたが、朔には楪が顔を赤くすることが本当に不思議で堪らなかった。こんなに美人なのに?魅力的なのに?と追求してみたかったが、拗ねる様が可愛すぎてそんなことすぐにどうでもよくなった。

「もういいよ。何か毒気抜かれちゃった。ええと。俺が言いたいのは、通院はちゃんとして下さいってこと。次からちゃんと守ってくれたら、それでいいから。でも今度すっぽかしたら、往診に変えるから」

「お、往診?!」

 楪は考えた。朔に来られては、逃げ場がない。でも、通院よりは時間短縮になる。朔の負担は増えるが、こちらの負担は減る。個展がすぐそこまで迫ったギリギリの状態では、そうしてもらえた方が助かる、のか?なんて。

「分かった?」

「は、はい!」

 急かされて慌てて返事をすると、朔が満足そうに「よろしい」と言って、ニッコリ微笑んだ。物静かな雰囲気とは違って、この人は思いの他ころころと表情を変えるのだな、と。楪は思った。

「それでは気分も良くなってきたことですし、そろそろ帰ります。」

「は?『帰る』?」

 何故そこで語調がまた険しくなるのだろうか?彼の麗しい顔を伺うと、さっきまであった微笑みは跡形もなく消えていた。

「馬鹿言わない!少なくとも今日はここに泊まりなさい!」

 空は快晴。「ええーっ」という楪の悲鳴が、晴れた空に響き渡った。

 

 

* * *

 

 

 気がつくと、手にあったぬくもりはすでに消え、セミの鳴き声はいつしか鈴虫の鳴き声に変わっていた。いつの間にか眠って夜になってしまったのだろう。しかし、それにしては明るいような・・・

ふと窓に目をやったとき、あるものが視界に飛び込んできた。

 

月。すべて満ちた、完璧な円形。

 

心臓が飛び跳ねた。瞳が熱い。頭の中に、呪文が走る。

満月は、いつも楪の中に迷惑な衝動を引き起こしてくれた。魔法をもっと使え、呪文を唱えろ、と。破壊でも再生でも、何でもいい。とにかくマギを解き放て。

何が迷惑かというと、気を抜いたらそこらじゅう魔法陣だらけになり、手当たり次第、頭に浮かんだ魔法が次から次に発動してしまうこと。任務の最中でもなく、魔法を使うのに適さない時と場所であってもその衝動が込み上げてくるため、それを抑えるのに楪はいつも苦労していた。

 飛び起きて、心臓のあたりをぎゅっと掴む。静まれ、落ち着け。だめ、ここは城の中。

 呼吸が荒くなる。汗が頬を伝う。

 

 そして、もう1つ迷惑なことがあった。

 月が欠け始めると、体中に蓄えられたマギが、一斉に外へ流れ出るのだ。

せめてシャワールームかトイレで、とベッドから出ようとしたが、焦って足がからまってベッドから転落。まだ完全に閉じていなかった傷口に伝わった衝撃の大きさに身動きを封じられ、結局我慢ならず、白い床に血溜まりを作ってしまった。

「・・・うぇ・・・・く・・・・・・は・・っ」

声にならない声が響く。あとは耳障りな血の滴る音。私は今、月光を浴びている。頭の中はその事実がぐるぐると巡り、解決策を考えようとする余裕すらない。

「楪さん起きた?入るよ〜。夕食なんだけど食べられ‥」

軽くノックをして暢気な声とともに入って来た彼は、地面にうずくまる楪を見て、手に持っていたトレイを落とした。ガシャン、と音が響いた。

「どうしたの?!」

彼の入室を音では確認したものの、楪には目視する余裕などない。朔は近寄り、状況を把握しようと話し掛けた。

「どうしたの!何で・・・」

朔が声を掛けるか掛けないかの間にも、血溜りの数は増え続け、大きさもどんどん大きくなっていく。

「ちょっと待って、今エーテルも呼んで…」

 床に伏したまま、血に染まった手が朔の腕を掴んだ。

「お、おねがい」

 手が震える。力が入らないからか、それとも力が入りすぎるからか。

「カーテン、しめて」

 誰かが窓から侵入し、楪に害をなしたわけではない。サジュマン城は結界を張り巡らせてあるので、侵入者がいれば必ず反応があっただろう。そもそも本当に侵入者であったとしても、カーテンを閉めたからといって退いてくれるわけはない。追い出せるのは煌々と輝いている月光くらいだ。そしてその月光を、楪は追い出したかった。

 朔は楪の思うところが理解出来かねている様子ではあったが、それでもカーテンを閉めた。再び傍へ駆け寄ってきたところで、楪はもう1つ、お願いをする。

「だれ、も、よばないで」

「・・・呼ばないで?でも、緊急事態だから、

「おねがい・・・このこと、い、いわない、で。大丈夫・・・だから。いつもの、こと、・・・だから」

 自分の弱点だからでない。ここの人を煩わせたくないのだ。こんなおびただしい量の血を、それも自分の血なんて、誰も触りたくないだろう。この医者には申し訳ないが、この際唯 1 人の犠牲者になってもらうしかない。必死の思いで朔の目を見て訴えかけた。

 

 後で回想する。あの時の自分は、何色の瞳をしていたのだろうかと。しかし、この時楪にはそんなこと気にしている余裕などなかった。

 自分の願いを聞き入れて欲しいと、その後押しをするように朔を見つめていたが、また吐き気に襲われ床に伏せてしまった。

 喉が痛い。再び咳き込んでいると、ふわりと体が宙に浮き、ベッドの中に押し込まれた。横向きに寝かされ、口元にバットをあてられ。

「本当にいつものこと?・・・状態が悪化するようなら、すぐに人を呼ぶから。」

 そう言って、朔はずっと、背中をさすってくれた。

 

2013 November 20 芹沢アツキ


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