兎が海に溺るるが如く

第4話 理由

 

 

「楪さん、気分どう?」

 太陽が最も高く昇る頃、朔は看護師のギュズと共に、再び楪の部屋を訪れた。

 気分は昨日よりは悪くないです、と小さな声で言ってから起きようとしていたが、ギュズが制止して、そのまま採血の準備を始めだした。朔は特にすることもないので、採血はギュズに任せてベッド脇の椅子に腰掛けた。

「あの・・・」

「おはよう。もし良かったら、この後一緒に昼ごはん食べない?はい、検温。」

 楪が何か言おうとしていたが、朔には何を言わんとしているのか大体予想がついた。「良くなったので、帰らせてください」だろう。その手には乗るまいと、朔は自分の言いたいことをまず伝えた。

 体温計を渡すと、素直に腋に挟んだ。ちらりと胸の谷間が見えた。

「折角のお誘いですが・・・」

「俺も昼食まだなんだよね。付け加えると、昨日の夕食と今日の朝食も。」

 断ろうとしていることも分かった。でも、朔には聞きたいことが山ほどあった。

  君のせいで昨日の夜から食事を摂り損なっているんだ、昼食くらい付き合ってくれてもいいだろ?

 そんな恨みがましい気持ちも込めて、楪の気持ちをゆすってみる。

「・・・はい、わかりました。喜んでお付き合いいたします。」

 楪の声は「喜んで」といった感じの明るい声ではなく、どちらかと言うと「しぶしぶ」といった感じの暗い声。そんな様子を見て、楪の腕に採血用の注射針を刺したまま、ギュズがクスクスと笑った。

「先生、そんなに楪さんをいじめなくてもいいじゃない。・・・はい、おしまい。ここ押さえてね」

ギュズには子どもが二人いるらしい。あと、採血がとても上手い。

「いじめるなんてとんでもない!俺はただ食事に誘っただけなんだから」

 何とも白々しい、とは自分でも思っていたけれど。

「はいはい、分かりました。じゃあ私は次の患者さんの所に行きますから、あとは楪さんのこと、先生お願いしますね」

 ちょっと気まずそうな楪の様子とは関係なく、ギュズは足早に部屋を出て行った(本当に忙しいのだろう)。

「・・・先生。」

 天井を見つめている楪が、ぽつりと呟いた。

「何を思って私と食事を摂りたいなんて言い出したんですか?私が目の前にいたって、ご飯がまずくなるだけなのに。単に聞きたい事があるなら、今聞いてくださればいくらでも答えますけど。・・・勿論、答えられる範囲で。」

 楪と会話が何となくかみ合わないことについて、朔はおぼろげに問題点が見えてきていた。

「じゃ、ちょっと待っててね。ご飯持ってくるから・・・あ、その前にシャワー浴びたほうがいいかな。タオル新しいの持ってきたし、着替えもミカから借りてきたから。あいつ細身だけど、身長高いからサイズでかいし楪さんも着れるでしょ。」

 ここで彼女の問いに真面目に答えていたら、またしても昼食を取り損ねてしまう気がした。

「あの、だから、・・・」

 異論は受け付けない。朔はにっこり微笑みながら、腰を上げた。

「じゃあ 20 分後にまた来るね」

 

 

 

 ミカは背が高く、細身。楪は背が低く、むっちり・・・というか、巨乳。リズの方が背格好が近かったが、胸のボリュームを考慮した結果、服はミカに借りた方が得策だと朔は判断した。けれども、その読みもまだまだ甘かったと言わざるを得ない。

 

「あ、あの・・・これ、どうなんですか?」

 20分後、約束どおり再び楪の部屋を訪れた朔が目にしたもの。それは、果てしなく柔らかそうで、深い深い、底の見えない谷。秘境。大きく開いた襟ぐりからは、自己主張の激しい胸がどかーんと覗いていた。

 言葉を詰まらせたまま、朔は目を閉じ、深呼吸をして、慎重に食事の乗ったお盆をベッドの脇のテーブルに置いた。

「あの、どうでしょうか・・・ちゃんと見て欲しいんですけど・・・」

 もう一度大きく深呼吸をして、朔は言葉を選びながらゆっくりと答えた。

「・・・そうだね。変かどうかで言うと、変じゃない。むしろ大歓迎。」

「・・・大歓迎?」

 おいこら、と、朔は自分に喝を入れた。欲望に忠実すぎるだろうと。朔は目を閉じたまま、続けた。

「そうじゃなくて、その、ごめん。君が着るとちょっと刺激的・・・。」

「はぁ?」

 曖昧さ回避?もっと具体的に言わなければ伝わらない?

「えっと、だからね?・・・」

 朔は意を決し楪の方を向いたが、すぐに目を逸らす。

「先生?あの・・・ああっ!は、鼻血!」

 楪はシャワールームに飛んで行き、先ほどギュズが置いたばかりの白いタオルを持ってきた。彼の顔にあてがうと、体を支えながらベッドの淵に腰掛けさせた。

「・・・不甲斐ない」

 こんな予定ではなかったのに。と朔が耳まで真っ赤にしているのを見て、楪は何故だか声を出して笑った。ますます朔の顔が赤くなる。

「ふふ、誰か呼びましょうか?ミカ先生とか」

「それは絶対にやめて!絶対笑われる!そして最低半年は毎日話題に出される!」

 

 結局、朔は鼻血が止まってから、エーテルに新たに借りてきたカーディガンを差し出し、楪に羽織わせた。そののち、予定よりも 30 分遅れの昼食。既に冷えていた。

「ええと、それで。楪さん、昨夜のことなんだけど。どうしてあんな事態になったの?」

 ロールパンを手に取り、楪が答えた。

「いつものことです。満月になると、・・・何と言うか、血が騒ぐんです。で、月が欠け始めた途端、消費しきれなかったマギがどばっと。・・・大丈夫、大抵合わせて体調も絶不調になりますけど、魔法が使えなくなるわけでもないし、数日寝込めば治りますし」

「月が関係しているわけ?」

「そうみたいです。」

「毎月あんな大変なことになっている、ってこと?」

 朔の心配している気持ちが伝わったのか、目が合った楪は小さく笑った。

「もう慣れましたから。」

 そう言って、パンを口に頬張った。職業柄か育った環境からか、楪は他人と深く関わることを避ける傾向にあるようだ。今の言葉も、「放っておいてくれ」と、そう言っているように朔の耳には届いた。

 一方で朔は、容易く諱を告げてしまったにも関わらず、自分にとって『楪』という存在が何なのか、まだ決めかねていた。いくつ歳を重ねてみても、自分の運命がどこでどう、誰と繋がっているのか分からない。そもそも自分の糸の先には、誰かがまともに繋がっているのだろうか。

 確かに、楪のことは非常に興味深い存在ではあった。しかし、それはただ単に彼女が美しいからか、ミスティックというある意味特異な存在だからなのか、それとも自分と繋がっている予感がするのか。まだ彼女と出会って1ヶ月の朔には、わからない。それは単に、分かりたくないという、ある種の逃げなのかもしれないが。

「・・・通院のことだけど、次いつ来れるかな?傷の経過観察もしたいし、詳しい検査もしてみたいし」

 朔は話題を変えた。

「ああ、もう大丈夫です。放っておけば勝手に治りますよ」

「そんなこと医者の前で言うもんじゃありません。現に君、大変なことになって担ぎ込まれてるじゃないの」

「そこまでして頂く必要はありません。先生には先生の時間があるし、すること、したいことだって沢山あるはず」

 朔は腕を組み、椅子にもたれ掛かった。天井を見上げると、睫毛の影が頬に落ちた。もちろんそんなの、朔本人には見えない。

「俺の時間?したいこと?・・・はは、なんだろうねぇ。取り敢えずは、君の怪我が完治するまで見届けたいかなぁ」

「え?!」

「じゃ、君の言葉どおり、俺は俺のしたいことをさせて貰おうかな。往診、とか?」

 楪を見ると、固まっていた。面白いな、この子。

 

2013 November 21 芹沢アツキ


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