兎が海に溺るるが如く

第6話 いたしません

 

 

 扉を開くと、ベルが涼やかな音を奏でた。フェリンズ様式の店内は、淡いオレンジの光で統一されている。

「こんにちは。あの、楪・シセと申しますが、予約してあったと思うんですけど‥」

「いらっしゃいま・・・」

 ウエイターは楪を見て、動きを止めた。目が合ったが、楪の方が先に逸らした。

 どうせ私が不気味なんでしょう。だからそうやって、驚いて声も出ないのでしょう。

 楪はいつも、マントを頭からすっぽりかぶり、顔を出来るだけ見られないように過ごしていた。それは、初対面の人は大抵、楪の顔を見て動きを止めるからだ。じっと見つめ、声も出ない。そんな様子を、楪は『皆、自分の容姿の酷さに慄いているのだ』と認識していた。今もそうだった。

 気まずそうに横を向いたまま、顔にかかった髪を耳にかけた。特に理由はない。

「あの・・・?」

 ちらりとウェイターを伺った。そこでようやく金縛りがとけたように、彼は慌てて奥の席を指した。

「あっ!い、いえ!ご案内いたしますっ」

 店の奥、窓際の席には、知らない男性がひとり座っていた。ブロンド、整った顔立ち。きっと彼が『ディラン』なのだろう。

「あの・・・ディランさん、ですか?はじめまして。私、楪・シセと言います。」

「」

 彼も先ほどのウエイターと同じく、動きを止めて楪を見ている。そんなに今日の自分は変だったのか?と、楪も慌てて服装を確認する。白いブラウスに、小花柄の青いフレアスカート。腕の刺青が見えているわけでもなく、リボンが曲がっているわけでも、ボタンを掛け違えているわけでもない。変な汚れもついてない。

 ディランを見た。面長の輪郭に、水色の瞳。濃いブロンド。彫りの深い顔。長身。細身。‥ちょっと顔が赤い。いや、現在進行形で、顔が赤くなってきている。体調でも悪いのだろうか。

「あの、ディランさん、ですよね?」

 もう一度声を掛けた。

「は、はい!初めまして、ディラン・モリスと言います!」

 軍人らしく闊達とした声。

「あの。顔が赤いようですが、どこか体調でも悪いのですか?今日の夕食、中止にしても構いませんけど・・・」

「いいえ!そんな、折角お越しいただけたのに・・・!どうか、どうかこのままここにいて下さい・・・!」

「でも、熱でもあるんじゃないですか?」

 楪がじっと見つめていると、ディランの目が泳ぎだし、ついにはぷいっと横を向いた。口に当てた手の隙間から、小さな声が聞こえてきた。

「・・・熱なんかありません。ただ、生で見るあなたがとても可愛すぎて」

「は?」

 耳を疑う楪に、もう一度、今度は目を見て伝えた。

「あなたの美しい姿を、こうして目の前で拝見できて、とても嬉しいです。今日はこちらの願いを聞いて下さって、どうもありがとうございます。」

 可愛い?美しい?誰が?・・・私が?

 楪は彼の言葉はお世辞にすぎないと判断し、少し謙遜をしてから席に付いた。そんなに煽てられても良い気などしない。逆に警戒するだけだ。

 しかし、こういう言い方というか、雰囲気の演出の仕方はきっと周囲の女の子たちは放っておかないのではないかと楪は思う。シモーヌに言われ想像していたよりも男前だし、『財産目当てです』という本音も綺麗に腹の中に隠れ、全く透けて見えてこない。

 

 店の内装と同じに、料理もフェリンズ系の創作料理だった。フェリンズはガイアという大きな星にある国。人が多く住み、物資も豊かで美しい国。たまたま友人が住んでいる土地であったので、フェリンズ料理は食べ慣れていた。

 こちらのレストランではカトラリーの数を減らし、なじみの薄い蘭国人でも食べやすいよう、焔の香辛料を積極的に使用してあった。

 食事中、楪は沢山の質問を受けたが、それと同じくらい、彼も自分のことについて喋った。酒が入ってくると(楪はワインでなくぶどうジュースを頼んだ)より饒舌になり、楪は相槌を打つだけで気分良く喋ってくれるので、間が持たないのではないかという当初の心配は、有り難いことに杞憂に終わってくれた。

 

 デザートが運ばれたくらいであろうか。

 グラスにつがれていたワインをぐいっと飲み干すと、彼の顔から笑みが消えた。真面目な顔で楪を見る。

「楪さん、あの。ほぼ初対面なのにこんなこと言うなんて、ちょっと変かもしれないけど・・・。僕と、結婚してくださいませんか。」

 危うくジュースを噴き出すところだった。口を押さえつつ呼吸を整え顔を上げると、彼はまだ真剣な表情で楪を見つめていた。

「えっと・・・?あの、私の聞き間違い?今、け、けっ・・・」

 ズバッと口に出すのは、ちょっと恥ずかしい。

「結婚してくださいませんか、と申し上げました。」

 正面を見ると、ディランと目が合う。右を見たら、隣の席の客と目が合った。左を見ても、同じ。こういう状態を『目が泳ぐ』と言うのか?落ち着こうと自分に言い聞かせつつ、ジュースをごくりと飲んだ。

「えっと。わ、わたし、おそらくあなたが思っていらっしゃるほど収入はありませんし、引きこもりだし、人との付き合いもあまり上手くないし・・・だから

「構いません!」

 大きな声でディランが遮った。

「僕が稼ぎます!これでも幹部候補生として入隊しているので、経済的にはなんの心配も要りません!」

 これくらいでボロを出すわけはないよな、と楪は思う。ディランは続けた。

「人付き合いとか引きこもりとかも気にしません!あなたが家で僕の帰りを待っていてくれるだけで、僕は幸せです!」

 男が外で働き、女が家を守る。・・・自分には似合わないな。

「私、そういうの苦手なんです。私はもっと自由なほうが好き」

「でしたら、楪さんのお好きなようになさって下さい。僕は、あなたと一緒になれるのであれば、何も文句はつけません。」

 楪は思わず笑った。

「お好きなように、と仰るのなら、今回の話はなかったことにして下さい。今回のことは、シモーヌさんが何度断ってもしつこいのでお受けしただけであって、乗り気になったわけではないんです。・・・申し訳ないんですけど。多分、あなたと私は合いません。あなたにはもっと相応しい方がいらっしゃるはずだから。」

「僕はあなたがいいんです!あなたでなくては駄目なんです!」

「私はあなたでは駄目です。」

 ちょっと直接的に言い過ぎたか。目の前の青年の顔から、生気が抜けていくのが分かった。

 幹部候補生なのであれば、私になどよりかからなくてもそこそこ裕福な生活が送れるだろうに。何故そこまで自分に執着しようとしたのか、楪は理解できなかった。

「私、この通り気持ちの悪い容姿をしているし、協調性もないし・・・あなたのような人は、もっと協調性のある美人な奥様を迎える方が似合っていますよ。」

 折角なので支払いは私が、と席を立とうとしたとき、ディランが聞いた。

「楪さん、あなたはどんな男とならご結婚しても良い、と思われるのですか?」

 ニッコリと笑って、楪は答えた。

「誰ともいたしません。」

 

 

 

 

  ―ヒヤヒヤしましたよ。だって、なかなかに見た目の良い真面目そうな男でしたから。

「ふふ、ハルったら。私と結婚したって、相手が幸せになれるはずないじゃない」

  ―どうしてですか?私なら絶対、何度振られてもあなたに向かっていきますけれど。

「結婚なんて行かずとも、きっと恋愛すら私には出来ない。」

  ―おや。何故する前にそんな風に決めてかかるのです。だったら試しに、私と恋愛してみませんか?

「ハルと?」

  ―キスから教えて差し上げましょう。・・・嫌ですか?

「ハルが夢の中から出てきたら、考えようかな。」

 

2014 january 18 芹沢アツキ


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