兎が海に溺るるが如く

第7話 涙

 

 

 ギャベランはラノワール共和国の東に位置する都市で、海に面している。焔のような完全な内陸都市では嗅ぐ事の出来ない潮の香りで満ち満ちていた。

 市街地にある駅で降り、赤れんがで鋪装された道を歩いて行くと、大きな時計台が見える。その時計台も通り過ぎ、橋を1つ越えると、砂浜の海岸が広がっていた。

「ユズちゃん?」

 誰かに呼ばれ振り返ると、そこには銀髪の女性。

「ミラーさん!久し振り!」

 彼女はミラー=シルバーバーグ。今回個展で借りるギャラリーのスタッフだ。ギャベランで先に準備を進めてくれていたのだった。

「そうね〜ユズちゃん元気だった?・・・じゃないか。体の調子はどうなの?」

「もう全快!ミラーさんにもオーランドさんにもいろいろと迷惑掛けちゃって・・・本当に申し訳ありません。でも今日から私もこちらで準備に取り掛かれますので」

「あなたのマケットが早めに届いたからね、どんどん前倒しで進めちゃった。会場設営はもう完成に近いから、あとはユズちゃんが修正入れていくだけ」

「そう言えばあの素材どうしました?未完成のままだった入り口に設置するオブジェ。そのまま焼いちゃった?」

「いえ、あれは結局樹脂をベースに薄めに溶いた石膏をスプレーで・・・」

 

 

*  * *

 

 

 仕事と治療を両立させる事に成功し、無事個展も開く事が出来た。開催期間は2週間。楪は最初の3日間だけ顔を出し、あとは雑誌の取材と作品購入者の対応に追われていた。

 連日盛況のようで、世界各地から沢山の人が鑑賞そして購入しにやって来ているようだ。

 よく言われるのが、「雑誌見ました」だ。・・・対応に困る。

 

* * *

 

 ちょうど個展の中日。思いがけず沢山の人が来てくれていたが、それでも楪はひとり、ある場所へ向かった。

 焔もギャベランも、9月はまだ暑い時期だった。いくらかは涼しくなってきたものの、夏の熱気が名残惜しそうにそこら中に彷徨う季節だ。

 ガイアという星は大きい。その中で人族が暮らす地の中心は、心都「アスタウェル」。その周りを広大な死海が覆い、それらを囲むように 100 以上の大小の島国が浮かんでいる。マギの影響を大きく受ける影響で、地理と季節が無関係だ。楪が向かったのは、ガイアの中のソールという国。ワトホートとポディスという国に挟まれた小さな島国で、季節は秋。9月中旬と言えばもう大分寒くなっていることだろう。

 

 人族が暮らす地域はガイアにとってごくわずかにしか過ぎず、ガイアは人族にとって未開の地が多くあった。未開の地には人族ではない種族――飛天族、龍族をはじめ、様々な魔族が暮らしているのだが、ガイアの生ける者たちは一部を除きずっとお互いの領域を侵さぬよう、共生してきたのだ。

 ソールはアスタウェルを囲む円陣列島の端に位置し、人族が暮らすフーア地方全体から見ればそれは辺境であった。

 頬に当たる風は冷たく、先ほどまで『夏』の国にいた楪にとっては心地よかった。しかし、それを喜べるような気持ちには残念ながらなれない。

 テラのラノワール共和国ギャベランから同国モンドールにあるポートまで2時間。そこで1時間待たされてから、ガイアのフェリンズ行きの魔法陣で移動し、またそこで1時間待ってワトホート行きの魔法陣で移動。そこから 10 時間、船でソールへ向かい、ソールの港からホテル街まで2時間。

 朝早く出たのに、到着する頃には真夜中になっていた。

 ちなみに、明日は更に馬車で 3 時間、移動しなければならない。 

 テラ、ガイア、オキアの星を移動する場合、ガイアで発明された魔法陣が輸送機関として使用される。しかし魔法陣は本家のガイアにも数えるほどしかなく、管理・使用出来るのも飛天族に限られている為に使い勝手があまりよろしくない。

 それでもこれしか移動の方法がないので、人々の需要は高かった。テラとオキアにはガイアから派遣された飛天族が魔法陣を敷き、それを管理しているのだが、それぞれに5つもないのだという。

「予約していた者ですが、・・・」

 秋の冷ややかな風が、もうその島には届いていた。木々は夏の若さを失い、紅葉も終わりを迎え辺りには枯れ葉が散らばっている。

「はぁ、」

 ホテルのソファに腰をおろし、楪は一息つく。毎年この時期になると、沈みがちになってしまう。今年こそはそうなるまい、と敢えて楽しみにしていた個展の日程をぶち込んだのに、結局いつもと何も変わらなかった。

 むしろ、いつもより寂しい気持ちに襲われた。

 

 9月13日。養母メシュティアリカの命日だった。

 

 今年は彼女の 9 回忌。もうあの事件からそんなに経ったのか、という驚きの思いもありつつ、自分を見ても時の経過を感じもする。確かに 10 年に近い時間は大きな変化をもたらしたのかもしれない。

 身長も伸び、乳房も膨らみ、初潮も来て。それだけじゃない。もうすぐ 18 歳、立派な大人だ。魔法だって格段に上達したのだ。力の無い子供の頃の私とは違う。

 墓のある場所までの道のりはもう、慣れてしまった。泊まっていたホテルを出て、町並みを抜け(ここで母が生前好んだ花を買い)、小道に入り、・・・。

 彼女の墓は静かな湖畔にあった。生前は名の通った導師であったにも関わらず、墓石はこじんまりとした、非常に質素なものだった。養母の埋葬の時、楪は M 機関に拘束されていた為に立ち会うことが出来なかった。最期のお別れすら満足にできなかったことが今でも心に残っていて、命日に墓へ参るたび、物言わぬ石に向かってでも、楪は話しかける事を止められずにいた。

 珍しく、この日は先客がいた。

「どうして・・・?」

 墓石の前に、一輪の花と共に手を合わせる男がいた。

 黒いスーツに身を包んだ彼は、楪の声に目を開けた。金色の瞳と目が合った。

「・・・驚いたな。まさか本当に会えるなんて」

「え?」

「いやいや、何でもないよ」

 彼の「何でもない」を追求するより、楪の頭の中には聞きたい事があった。

「どうして先生が、ここに?」

 朔は墓石に目を戻した。

「俺も生前、大変お世話になってね。」

 彼の黒ずくめの身なりからして、最初から一択だった。よく見れば、供えてある花は楪が買って来たものと同じだ。

 木の葉がさわさわと揺れた。風が頬をかすめた。

「・・・俺ばかりが独り占めしちゃだめだよね。君もアリカ殿と話すことがあるんでしょ?」

 立ち上がった朔に代わり、今度は楪が膝をつく。マントを脱いで、横に置いた。

 花を供え、手を膝に置いた。静かに深呼吸を、 3 回。

「‥母様、楪です。また 1 年経ちました」

 また 1 年。いくら年月が経過しても、彼女は永遠に還ってこない。

「今年はルーの勧めでテラの蘭国に引っ越しました。吉兆と占いで出たと言われたけれど、・・・まだ人生が変わるほどの出来事にめぐり合えていません」

 私のなにかが足りてないのかもしれない。

 自嘲気味の笑いが口から零れた。口角が少し上がったのだけれど、すぐ元の位置に落ち着いた。

「あの男を、また逃してしまいました。私の未熟さゆえです。次こそ討つと誓います」

 涙がぽたりと腕に落ちる。黒い服の袖にしみ込み消えるのを待たずして、ぽたりぽたり次から次へと涙が落ちた。

「心配はいりません、あなたに教わったことは何一つ忘れてはいません。これからもっと研鑽を積んで、・・・私の命と引き換えてでも、」

 背中にぬくもりを感じた。顔を上げると、そこには朔がいた。

「楪さん、これ、よかったら」

 朔の手だった。楪と目線の高さを合わせるように、隣で膝をついていた。そして、差し出された手にはハンカチ。

 楪にはその意味が分からずに固まったままだったので、朔は「涙。拭きなよ」と付け加えた。

「・・・涙?私、泣いてなんか・・・」

 泣いてなんか、ない。

 そう言おうとした時、頬に暖かいものが伝っていることに気がついた。手元を見れば、服には雫のあと。1つじゃない。そこでようやく、自分が号泣に近い勢いで涙していたと理解する。

「お、おかしいな。そんなつもりじゃ・・・」

 慌ててハンカチを借り、目を覆う。恥ずかしさから作り笑いをしようとしたけれど、頬の筋肉が上手く動かなかった。

「すみませ・・・っ」

 非礼を詫びようとした瞬間、背中に当てられていた手に力が込められた。されるまま体が朔の方に倒れると、彼のもう片方の手も後ろに回された。

「いいから。大丈夫。」

 耳元で、彼の声がした。

 体勢を直すため動こうとすればするほど彼の腕がぎゅっと抱きしめてくるので、そのうち諦めた。ぬくもりが心地よかった。

 

2014 January 18 芹沢アツキ


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