兎が海に溺るるが如く

第8話 ありがとう

 

 

 涙が止まってしばらくすると、朔が腕の力を緩めた。

 立てるか聞かれたので、真っ赤な顔で頷くと、優しく微笑んで腕を貸してくれた。

「すみません・・・本当に、その、甘えちゃって・・・」

 迷惑だとは分かっていた。でも、彼の好意に抗うなんて出来なかった。自分を抱きとめるその腕に、楪は深い安堵を覚えた。まるで、自分を必要としてくれているように感じたのだった。それが例え、錯覚であったとしても。

 申し訳ないと思っているのなら、と彼が切り出したのは、食事のお誘いだった。楪にはやはりまだ自分と食事を取りたがる気持ちが理解できないままだったが、断る理由も特になかった。

 

 

 

 連れられて入った店は、漆喰の壁のレストラン。年に 1 回はソールに来るのに、こういったところに入るのは初めてだ。そういえば、今日はまだ何も口にしていなかったことを思い出す。

「たまにしか来ないんだけど、先代の時から知っててさ。この店結構気に入ってるんだ。君にも気に入って貰えると嬉しいな」

 それぞれの机に置いてある色とりどりのキャンドルが目を引いた。炎のゆらぎが、何故かほっとした。

「素敵なお店ですね」

 ほっこり和んでいると、ふと視線を感じた。正面を向くと、朔がじっと見ていた。

「・・・私、何か変なこと言いました?」

 原因が分からないので、取り敢えず聞いてみる。

「いや、君が笑ったから。・・・ようやくね」

 ずっと、沈んだ顔をしていたから。

 彼の微笑む様子に、ついつい再び涙が零れた。こんなに醜い自分のことを心配してくれているなんて、彼はなんて優しいのだろうか。

「・・・大丈夫?」

「・・・はい。すびばせん、大丈夫れす。」

 鼻声で答えたら朔が笑い、それにつられて楪も笑った。

「べ、別に、毎年こんなに泣いているわけじゃないんです。でも、その、・・・先生が凄く優しいから。こんな自分にも、そうやって心配してくれる人がいるんだっていうのが、そ、その。・・・嬉しくて。」

 ニコッと笑って終わらせようとしたのに、頬は上手く笑みを作ってはくれず、むしろ余計に涙が溢れた。朔に借りたハンカチは、既に涙でぐっしょぐしょ。

「私には、返せない。」

 ぽつりと、口から出た。

「何が?何を返すの?・・・ああ、そのハンカチなら君にあげるよ」

 すかさず朔も聞いた。

「・・・みんな、私を心配してくれている。エムや、ロンや、ルー。宗世だってそう。いつも私を助けてくれる。でも、私はどうしたらいい?皆が私に与えてくれるものが多すぎて、私にはとても返しきれない。ねえ、先生。私、どうしたらいいと思います?」

 きっと朔も答えにくいだろうというのは分かっていた。でも、勢いで質問してしまった。少しでも答えに近づけたら。そのヒントだけでも欲しかったというのもあったからだ。

 難しいだろう問いに、朔は優しく微笑んだ。

「簡単だよ。笑顔で『ありがとう』って返せばいいんだよ。大げさに考えなくても、みんなそれで満足するよ」

「それはちょっと簡単すぎるような・・・」

 あはは、と朔が笑った。

「じゃあ聞くけど、君、俺に笑顔で『ありがとう』って言ってくれた?」

 楪は、少し考えてから頭を振る。

 大切な言葉で、当たり前の言葉。でも、よく考えたら、自分は「ありがとう」ではなく、「すみません」の方が多かったかもしれない。最初から返しきれないから、と、受け取ることも拒否してはいやしなかっただろうか。

「先生。」

 ゆっくりと息を吸い込んで、目を上げた。朔の目が、こちらを見ている。金の瞳と、銀の瞳。

「ありがとう。」

 照れ笑いも込みで、今度は先程よりも笑顔が作れた気がするけれど、思いのほか恥ずかしい。顔が熱くなるのが分かった。が、朔も何故か顔を赤くしている。

「どどどどうして先生も照れるんですか!余計恥ずかしいじゃないですか!」

「・・・だって、楪さん・・・可愛すぎるもん・・・」

「こんな時にお世辞なんていりませんよ」

「俺が嘘言ってるように見える?」

 耳まで赤くしながらも疑われたことに不満を抱いているような、そんな顔の朔。まぁ、「可愛い」という言葉は容姿だけでなく仕草や言葉に対しても使える言葉であるから、 1000 歩譲れば自分に対して向けられてもおかしくないのかもしれない。

 なんて落としどころを見つけていると、ふとある疑問が頭を過ぎった。

「あの。先生はどうして、私に諱を教えて下さったんですか?」

「どうしてって?」

「諱なんて、最近では配偶者にすら教えないらしいじゃないですか。でも、私なんか先生の配偶者どころか、何の関係性もない他人なのに。どう考えても、安易です。危険すぎます」

 そうだね、と言いながら、朔は手元のメニュー表に目線を移した。丁度ウェイターが注文を取りに来たからだ。

 朔は楪の好みを簡単に聞き、二人用のコース料理を注文した。コースの中で選択できるものは、朔のオススメのものにした。それでいいと楪が言ったから。

「敢えて理由を付けるなら、確かめたかったから、かな。」

「何を?」

 自分の探していた人物が、本当に楪で正しいのか。

「さぁ。何をだろうね?」

 朔が答えをはぐらかすと、楪は少しばかり不満そうではあったが、あまり追求はしてこなかった。何となく、詮索されたくないということを感じ取ってくれたのかもしれない。

 

 外は夕焼け。桃、橙、紺。グラデーションの鮮やかな色が、空に広がっている。神様はよっぽど素晴らしいセンスをお持ちだったのだろう、自然は美しいもので満ち溢れている。木々も、海も、天をたゆたう雲さえも、足を止めて見入ってしまうほど美しい。ああ、それと。

 楪は、自分の正面に座っている人物に目を向けた。ちょうどグラスに口を付け、水を飲もうとしているところ。彼の金色の睫毛が、白磁のような肌に影を作っている。ああ、こんなに薄い色でも、影が出来るのか。

「どうしたの?」

 朔が聞いた。少し釣り上がった目を細めた。瞳が夕焼けを受けて、いつもより煌いて見える。

「先生も、とっても綺麗。」

「・・・ん?え?!な、なに急にどうしたの?」

 慌てる朔をよそに、楪は続けた。

「先生のにっこりした顔。キラキラ光る髪の毛と瞳。長い首。いつも自信に満ち溢れていて、堂々とした姿。それと、命の輝き。気高さ。清らかさ。龍族は、人族よりも天に近い。地に近い。世界に近い。・・・憧憬の念を抱くことを、私はどうしてもやめられないの。」

 もしも自分が龍族に生まれていたら、こんな醜い容姿をしていなかったのだろうか。もっと前を向いて道を歩けたのだろうか。もちろん、ないものねだりなのは分かっている。

「先生の探している人、もう見つかっているはずですよ。」

「え?」

 楪にべた褒めされ、頭は真っ白。そんな時に新たに告げられた言葉に、朔は再び戸惑う。

「最初から気付いていたけど、気付いていないふりをしているんじゃありませんか?」

「ちょ、ちょっと待って。それ、どういうこと?探している人って?」

 楪には、朔が戸惑う理由が分からない。

「以前仰いませんでしたか?焔に来たのは人を探しているからだって。わざわざナルベデュエンから来たのも、焔でその人を見つけるためだったんですよね?」

 ナルベデュエン。龍族が住まう地。

 朔は額に手を当て、大きく深呼吸した。

「俺、・・・自分が龍族だって言ったっけ?」

「え?違いますか?」

「いや、違わないけど・・・。でも、焔に来た理由も、自分が龍族である事も、君には伝えてないはず。・・・なんだけど?なにこれ、魔法?予知能力?」

 楪は「あー」と小さく呟いてから、苦笑いをした。

「すみません、私どうも占いとか予知とかの才能が微妙〜にあるらしくって。でも、自分で操ることが出来ないんです。だから時々知らないはずのことを知ってたりすることがあって。今回のことも、先生に覚えがないのなら、多分勝手に私が知ってしまったんだと思います。だからルーに跡を継げって言われても、ウロボロスの一族に求婚されても、いまいちピンと来ないんですよねぇ占いをやるにしても中途半端すぎるので。」

「求婚?!」

 大きな声と共に、朔の椅子がガタンと倒れた。レストランが静まり返り、まばらにいた客が朔に注目している。

「誰に?アルダー?ファティ?もしかしてファルケ?!」

「・・・ 3 人ともにひと通り。それより先生、お、落ち着いて」

 そこでようやく、朔は周囲の状況が目に入る。ゴホン、と咳払いを 1 つしてから、椅子に座り直した。・・・が、気持ちが落ち着かない。

「楪さんそれで?あいつらのプロポーズ、受けたの?」

「受けるわけないじゃないですか!あの兄弟、みんなもう 2000 歳過ぎてるから焦ってるだけなんですよ?私では役不足すぎますよ!」

 ウロボロスの一族とは、龍族の中で祭祀を司る一族。龍族は 10 の歳を迎えると、ウロボロスから『道標』を与えられる。これから長い生を全うするための、道標となる言葉を。また、ミスティックに入隊する際に、ウロボロスから洗礼を受ける必要があるため、楪もその一族と面識があったのだった。

 長男アルダー、次男ファティ。そして、三男ファルケ。皆、絶賛花嫁募集中だった。 残念ながら三人とも若干捻じ曲がった性格をしているため、なかなか良縁に巡り会えずにいるようだ。・・・良縁を授けることを生業としているくせに。

「先生は彼らと親しいんですか?」

「ま、まあ、昔はよく一緒に遊んだっていうか・・・。でもさ、楪さん。話を前に戻すけど。君の言うとおり、俺は龍族なんだけど。君は人族でしょ。俺のこと、その・・・気味悪くない?」

「どうして?私、一度もそんな風に思ったことありませんよ?何度自分が龍族であったらよかったのに、って思ったことか。それよりも、・・・先生にとっては私の方が気味悪いでしょう?」

 荒波のようにうねる髪、ギョロッとした瞳に、腫れぼったい唇。身長に合わない、大きすぎる胸。月に一度は魔法を暴発させそうになるし、命を奪う仕事もする。

「先生は優しくて、きれい。清く気高い。私といたら、先生も気付かないうちにきっと汚れて不幸になってしまう。先生の事は尊敬も信頼もしていますが、だからこそそれは私の本意ではありません。」

 自分といたらあなたまでも不幸になるでしょう、と。楪はそう言いたかった。養母メシュティアリカも龍族だった。

 朔は、フォークを置いた。

「君は、アリカ殿が君のせいで死んだ、と思っているの?」

 楪の瞳が紫に揺らいだ。何かを言おうと口が開きかけたが、すぐに閉じた。目に涙を溜めながら、言葉を探しているようだ。

「それは違うよ」

「違わない。と、思う。異変を感じ取ったのに、気のせいにしてしまったのは私。私がいれば、まだ違う未来があったかもしれない」

「違うって」

「違わない!」

 涙が零れた。

「・・・じゃあ、見方を変えよう。君が過去を後悔することで、アリカ殿は帰ってくる?君が日々後ろ向きな人生を送ることを、彼女が望むと思う?」

 それは・・・と楪は言いよどんだ。言いよどんだまま、涙がだらだらと流れてくるので、続きの言葉が続けられずにいた。

「俺は、君と出会ってこうして関わっていることを、・・・そりゃまぁ面倒は掛けさせられてるけど、幸運なことだと思ってる。君は俺のことをキラキラしているって言ってくれたけど、俺には君の方が、命の輝きを持っているように見えるよ」

楪の眉間に皺が寄った。

「俺の髪はそりゃ金髪なんでキラキラ見えるかもしれないけれど、目、左右で色が違うんだよ?自分にとっては気味悪く感じる時だってある」

「そんなことないです」と否定しようとする楪を遮って、朔は続けた。

「俺は自分がきれいなんて思ったこともないし、それどころか人と同じだったらどれだけ良かっただろうと何度も考えたよ」

 人と同じだったなら、もっと早く君にたどり着けただろうか。

「君の深い青色は、夜のように全てを覆い隠し、吸い込む色。俺の心も吸い込まれちゃいそうだ。君と関わって不幸になるというのなら、俺は喜んでこの身を投じるね」

「・・・そんなこと、私は望んでないです」

 やっぱり、ちょっと遠まわしな比喩表現では、告白も告白になりえないか。そして、いつの間にか彼女に告白しようとしている自分に気付き、朔は苦笑した。 それとともに、確信した、もう後戻りできない所まできてしまったことを。

「大丈夫、どんなに暗い夜でも、時間が経てば朝がくるんだから。」

 少し沈んだ楪の視線が、再び朔の視線とぶつかった。大きな目をぱちくりとさせている。そしてまた視線を落とし、顎に手を当てなにやら思案する。

「・・・ものは言いよう、かしら?」

 『暗い夜でも、時間が立てば朝がくる』。悲観することはない、と彼は言いたいのだろうか。

 朔を見ると、相変わらずの煌きを秘めた瞳が自分を気遣うように見つめていた。何だか急に、可笑しくなった。

 笑ったら、朔はびっくりしていた。

「そんな風に思ったことはなかった」

 込み上げて来た涙はなんとかこらえたが、ちょっと睫毛を濡らしてしまった。取り敢えず笑い涙ということにしておいた。他の意味を持たせるのは、恥ずかしいから。

「でも、」

 ひとしきり笑ってから、楪は言った。

「私、小さい頃はもっと薄い髪の色だったんですよ。毛色なんてあまり覚えていないけど、銀に近い水色だったと」

「そうなの?今でも十分きれいだけど、それも見たかったなあ」

口ではそう言いながら、朔は心をなでおろす。

きっと似合っただろう。でも、そんな姿神々しすぎて目も合わせられなかったかもしれない、と。

 

2014 January 18 芹沢アツキ


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