兎が海に溺るるが如く

第9話 既に振り回されているような

 

 

「なんですと?!」

 明日は朔もテラに戻るというので、途中までだが帰路も一緒に、だったら同じホテルの方が連絡が面倒でないということで、同じホテルに泊まる事にした朔と楪。

 2人とも宿泊の予約をしておらず、楪にいたっては昨晩泊まったホテルで何を勘違いしてか「1泊です」と言っていたため、追い出しを喰らっていた。同じホテルと言っても、もちろん部屋は別だ。でも、肝心の部屋があいていないのだ。これでもう、5件目のホテル。 

「全くないんですか?」

「申し訳ございません、本日は満室で‥」

 受付嬢の言葉に、二人してため息。

「どうしましょう‥先生は他にホテル知ってますか?」

「いや、もう普通のホテルはないなぁ‥。」

 普通じゃないホテルならあるが、そんな所に楪を連れてなんか行けない。

「あっ・・・あ、でも・・・」

 受付嬢が何かを発見したようだが、すぐに声が消える。

「どうしたんですか?」

 楪が聞いた。

「あの、1室だけならなんとかございますが、それが‥」

「それが?ベッド1つしかないとか?」

 朔が聞いた。それならそれで、楪だけ泊まって自分はどこかで野宿でも、と朔は考えていた。

「いえ、あの、‥スイートルームで・・・」

 スイート。スイートと言えば、最上階、最高級の部屋。ベッドはツインどころかトリプルやらダブルやらがいくつもある。お風呂場だって広い。そして、値が張る。

「じゃあそこにしましょう」

 楪が元気よく言った。

「えっ?」

 受付嬢が驚いた。

「良かった〜これで暖かいお布団で眠れますね!」

「・・・ん?て事は、俺も一緒に‥?確かに部屋もベッドもいくつかあるとは思うけど」

 やましい思いがあるわけではない。・・・正確に言うと、やましい思いはある。あるにはあるが、実践するつもりはない。そうではなく、男と一緒の宿泊になることに抵抗はないのかと、思っているのだ。

「私は問題ありません。先生だけを寒空の下放っておく方が問題です。大丈夫、万一襲ってこられても殺す自信がありますので」

「いやいや、襲わないけど!」

 命は惜しい。

「じゃあ決まりですね」

 意気投合したところで、受付嬢が割り込む。

「あの、お部屋代でございますが‥」

「「翌月一括で」」

 二人ともそう言って、同時にカードを出す。

「今回は俺のおごりって事で。」

「駄目です。お食事代を先生に払っていただいたので、次は私の番です」

「それなら、今日は全て俺が払う日って事でどう?今度こういう機会があったら、その時は君にお願いするよ」

 少し考えて、しぶしぶ承諾する楪。しかし彼女は知っているのだろうか。「次はお願いする」と言うのは、女性と何度も会うための手段だということを。

 

 

 案内してくれたホテルマンにチップを渡し、扉が閉まると楪は息をついた。

「疲れた?」

 豪奢なソファに腰をおろしながら、朔が尋ねた。 瞬きで返事をし、向かいの席に座る。ふかふかの背もたれに身体をあずけ、深呼吸をした。「でも。」楪は言葉を続けた。

「でも、先生が一緒なので、今年はあまり沈んでいないと思います。・・・ありがとう。」

「良かった。君の為になったのなら本望だよ」

 そんな本望だなんて、と謙遜の言葉が口から出かけたが、折角の優しい言葉をそのまま受け取っておきたくて、微笑みをもって返事とした。

「楪さん先にお風呂入ってきたら」

スイートと言えど、バスルームは1つしかないらしかった。他の部屋よりも広いようだが。

「俺は後でいいよ。楪さん疲れてるだろうから、早く寝た方がいいんじゃない?」

促されるまま、楪は立ち上がる。レースのボレロを脱ぎ、ソファの背もたれに掛けた。キャリーケースを開け、小さなポーチと着替えを取り出すと、じゃあお先に、と言ってバスルームへと消えていった。 

「・・・ふぅ」

 楪の姿が見えなくなり、扉のしまる音がすると、朔は小さく息をもらす。‥先ほどの楪のように。

 

 

 楪が、朔の探し人は既に見つかっているはずだと言っていたことが、頭を巡る。

 朔は、確かに、楪を見つけた。一目ぼれだった。しかし、あれほど長い間待っていた女性を、そんな一瞬で決めてもよいのだろうかと、朔は常に不安に思いつつも、それでもその女性、つまり楪のことが気になって仕方がなかった。

 楪と何の信頼関係もなかった頃、彼女に諱を教えたのは、楪が運命の相手で間違いないことを確かめたかったから。もしも彼女に諱を悪用され、殺される結果になったとしても、それはそれでしょうがないと思っていた。ある種の賭けだったのかもしれないと、朔は今になって思う。

 そして、賭けに勝ったのだ。

 楪と話せば話すたび、彼女のことを知れば知るたび、惹かれていく自分に朔は気がついていた。そして、無意識のうちに告白していて、しかも伝わらなくて。

 幸か不幸か、楪は『鈍感』なのかもしれない。彼女の鈍さゆえ、先ほど道でナンパされたときも(何と 5 組!)顔色ひとつ変えることなく、スルーが出来たのだろう。もしも勘が鋭かったら、あの容姿であるから、自分が見つける前に他の男に求愛され、そのまま餌食となっていたかもしれない。恐ろしいことだ。けれど、自分の気持ちが思うように伝わらないのも、それはそれで好ましくない。

 ・・・なんて考えつつ頭を悩ませていると、間もなく楪がバスルームから現れた。早すぎるのではと思い時計を見るが、朔の想像よりも時間が経っていただけだった。

「お先に頂きました」

 そう言いながら、楪はタオルを頭に巻いた。

 頬は先ほどより赤く、しっとりとした光沢を放っている。

 朔が見とれた理由はそれだけじゃない。

 クラシックローズがプリントされたベビードールに、お揃いのミニパンツ。下着が透けているわけではないが、露出はきわめて高い。いつもは服の中に隠れている谷間も、筋肉質でつやつやとした太ももも、今回ばかりは存在を主張していた。

「あ、すみません。一人旅だと思って、家用の寝巻きしか持ってこなかったので・・・」

 申し訳なさそうな楪とは裏腹に、谷間から「ドヤッ!」という声が聞こえてきそうだ。

 楪は決して細くない。むしろ肉付きは良いほうだ。しかし、その肉は単なる脂肪ではなく、ミスティックという実戦を実務とする職業柄だろう、平均的な一般女性よりも多くの筋肉が付いていた。

 だからこそ、首や腰や体の節々はキュっとしまっていて、メリハリの効いた優秀なフォルムだった。服の上からでも分かるほどの豊かな胸なんか、思わず「埋もれたい」という衝動を引き起こす。

 今は風呂上がり。甘美な香りが、さらに男を魅了する。

「どうかしました?」

 楪が不思議そうに朔をうかがう。

「・・・俺も入ってくるよ」

 朔は慌ててソファから起き上がり、出来るだけ見ないようにしてバスルームへ向かった。

 また鼻血を垂らしたくはない。

 

* * *

 

「お帰りなさい」

 風呂上りの朔を、ニッコリ笑顔で迎える楪。ソファの上で体育座りしながら、本を読んでいた。折り曲げられた大腿が目に入る。

 ・・・この子は、もう少し慎みを持った方がよいのではないだろうか。俺も男だということを分かっているのか?

「・・・何読んでるの?」

 これ、と言って、足に乗せていた本を持ち上げる。表紙には、『眠れなくなる宇宙の話』と書いてあった。

「宇宙の話?好きなの?」

 反対のソファに腰掛けながら聞くと、元気の良い返事が返ってきた。だが、直視できない。目を閉じ、上を向いてどうしようか考えていると、右側が沈み、何かが触れた。見ると、青い頭が隣にあった。違うソファに座ったはずだけど、と一瞬自分が間違えたのかと思ったが、否、それは違った。

「今日だけ。ちょっと、・・・隣に来させて下さい。」

 慌てて浮かそうとした腰を、再びソファに下ろした。楪は本に目を落としたままだった。表情は伺えない。

 密着している部分から、楪の温度が伝わってくる。まずい。これはまずい。気を逸らさなくては、自制が効かなくなる。

「楪さん。あのさ。」

「なんですか?」

「君さ、アスタウェルの生まれでしょ?」

「・・・私、物心ついた時には養母と暮らしていたので、」

「その瞳、感情によって色が赤くなるの、アスタウェル人の特徴だよね。・・・普段の瞳が『青い』なんていうのは初めて聞いたけど。君もそう思っているんじゃないの?」

「ええと、その・・・」

「それと、その血。滲み方。」

 楪の血は、花の模様を描きながら、滲んだ。その様を、主治医として楪の治療を担当した朔は幾度も目の当たりにしたのだろう。

 楪は顔を上げ、朔を見た。ああ、と楪は溜息をつく。

「・・・アスタウェルへ知らせるおつもりですか?」

 これで私の自由も終わりか。そう思ったとき、隣から明るい笑い声が聞こえた。

「そんなことするわけないじゃん!それとも、知らせてほしい?」

 慌てて首を振ると、朔は微笑んで言った。君が嫌がることはしない、と。更に朔は、その代わり、と続けた。

「その代わり、君のこと『ゆず』って呼んでもいい?」

「・・・は?」

「『ゆずりはさん』は長すぎる。もっと気軽に呼びたい。・・・だめ?」

「・・・いや、どうぞご自由になさってください。でも・・・そんなことでいいの?」

 私の居所を他言しないことと取引するには、釣り合いが取れないのではないか?楪はそう思った。けれど。

「俺には凄く大切なこと。」

 朔は、楪の頭に手を置いた。ぽんぽんと、子どもをあやす様に撫でる。楪も嫌がるそぶりは見せず、そのまま、むしろ顔がほころぶのを止めようと唇をかみ締めながら。

「ゆず、もう1つ聞いていい?君に彼氏はいる?」

「いません。」

「最近お見合いしたって聞いたけど、本当?」

 ぎょっとして、朔を見た。顔が燃えるようだ。

「そ!ど、どうしてそんなこと知ってるんですか!私誰にも言ってないのに!」

「凄く噂になってるよ?君がこっぴどく振ったって。ディランもなかなか美形で性格も良い奴なのに。趣味じゃなかった?」

「やめてください!趣味も何も、私そんなつもりないんですってば!」

 朔はニヤニヤ意地悪そうに、楪を見ている。真っ赤になりつつ躍起になっている姿を笑われている気がして、ぱっと顔を伏せた。

「そ、そもそも、私に結婚や恋愛、できるわけないじゃないですか。変人だし、根暗だし、マギありすぎだし。」

「そう?俺には君が凄く魅力的に見えるんだけど?」

「あはは、先生ったらご冗談を・・・」

「俺は本気だよ?相手がいないなら、早いうち俺が君の事貰っちゃってもいい?俺と結婚しちゃえば君も龍族の仲間になれるし、メリットだらけだと思うけど。」

 本日二度目の告白。割と、直球。

「はいはい、慰めて下さって、どうもありがとうございます〜」

 それを、華麗にスルー。

 こういう抜け道もあったのか、と感心しているうちに、追撃のタイミングを逃してしまっていた。楪は既に、本の続きを読んでいる。どうしようもないので、天井を見上げた。ああ、思ったよりもシャンデリアが小さい。

 ふと、腕に重みを感じる。

 楪が、もたれかかってきている。

 胸元から、見事な谷間が朔を誘惑している。・・・そういうことでいいのか?そう捉えていいのか?いやでも、別にまだ恋人になったわけではないし。それでも、これって。

「あの、ゆ、・・・ゆず?」

「・・・」

 返答はない。というか、寝息が聞こえる。

 つまり、寝ている。

 寝てやがる。

 『眠れなくなる宇宙のはなし』。読んでいる途中で疲れて寝てしまったのだろう。・・・「眠れなくなる」のではないのか?

 あ〜あ、こんな薄着で、こんなところで。

 朔はくすりと笑った。

「ゆず」

 声を掛けるが、反応はない。

「ゆず」

 肩を軽くゆすってみる。それでも反応はない。

「ゆず〜」

 顔に顔を寄せたら、綺麗な寝顔に影がおちた。それでも反応は‥

「んん‥」

 朔の金色の髪を水滴が伝わり、落ちた。楪の桃色の頬に、一筋の道を作る。

 小さな声を出した楪は、睫毛で重そうなまぶたを上げる事なく、ぷっくりとした唇を動かしただけだった。もごもごとして一瞬止め、何故か満足げに口を少しだけ開いた。

 まるで子どものようなしぐさ。

 思わず笑みがこぼれる。

 近くに座ったまま、楪の顔をじっと見つめた。ちょっとくらいなら、許してくれるだろう。そう思って手も伸ばしてみる。

 前髪を軽く分けると、少し太めの眉が覗いた。そのまま手を下にずらすと、睫毛の先が手の甲をかすめた。

 長い睫毛。この子のどこを取ったって、俺には「醜い」など到底思えない。

 頬に触れた。ぷりぷりで、すべすべ、きめの細かい肌。ほんのりと赤く、色香立っている。そして、その下に、赤いくちびる。

 ・・・危ない。このままこうして見ていては、自分の欲望に負けてしまう。

「ゆず?ベッドに連れて行くからね。こんな所で寝たら風邪ひいちゃうから」

 返事はなかった。それでも朔はよかった。そのまま腰を上げると、楪の背中と太腿に手を回した。力を入れて、持ち上げる。

 思っていた程軽くはない。だが、女性らしい肉付きは、悲しいほどに伝わってくる。(欲望に身を任せる事ができないことが悲しいのだ)

 絨毯の上を静かに歩き、一番大きな天涯付きベッドへと運んだ。絹の布団をめくり、その間に楪の身体を寝かせる。再び布団をかけた。

 んん、と楪がつぶやいたので、幼い子を寝かしつけるように頭を優しく撫でた。

 

「・・・・・」

 

ちょっとくらい、いいか。どうせ寝てるし。

「おやすみ」

 そう囁いて、楪の頬にキスをひとつ。このくらいなら、もし気づかれていても許してくれるだろう。許してくれなかったら、そのときはそのときだ。こんな子に振り回されるのも悪くない。

 

2014 January 18 芹沢アツキ


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