兎が海に溺るるが如く

第10話 好き

 

 

 楪が目を覚ますと、とても近くで人の寝息が聞こえた。自分は昨日、どこで寝たのだろうか?

 何だかとても、暖かい。ちょっと硬めの枕と、同じく硬めの抱き枕。

 ・・・硬め?抱き枕?

 血の気が引くのが先か、顔が真っ赤になるのが先か。取り敢えず心臓の鼓動が強く早くなった。

 自分の顔のすぐ上に、端正な顔がもう一つあった。

 

 

 

「だってゆずが離してくれないから。あんな声で『行かないで』なんて言われて放っておける奴がいるなら、俺は是非とも会ってみたいよ」

悪びれもせずに答える朔だが、実際は昨夜、何度も何度もシミュレーションした返しだった。

「すみません。・・・ゆ、夢で・・・。子どもの頃の夢を見たはず、だったんですけど・・・」

 子どもの頃、時々兄代わりのミスティック仲間、エムに添い寝をしてもらったことがあった。夢の中だと思って、子どもに戻った気持ちで添い寝をお願いした筈が、朝起きてみたらそれが現実で、しかも添い寝の相手が朔だったというわけ。ただ横に寝るだけならまだいい。朔には腕枕をして貰い、さらに、がっしりと抱きついて寝たらしい。

「わ、忘れてください!本当に申し訳ありません!!」

 あまりの恥ずかしさに、顔だけじゃなく瞳も赤くなって。しかし本人はそれどころじゃないので、気付いていないようだ。

 忙しなく赤から紫の間をゆらゆらと揺らいでいる瞳を見つめながら、朔は優しく言う。

「気にしないで、俺も全然気にしてないから。」

 嘘だ。気にしてないわけない。あの肉、香り、さわり心地。どれをとっても忘れられるわけがない。きっとこれから昨夜の事を思い返しては、自家発電に勤しむことになるだろう。そして自分がこの笑みの下にいやらしい考えを隠し持っているなんて、この子は知る由もないだろう。

「ゆずはこれからどうするの?」

 気を取り直して、の朝食後、朔は質問した。

「はい、個展がまだ途中なので、撤収までラノワールに滞在します。‥どうかしました?」

「いや、俺もゆずの個展見てみたいんだけど」

「そうですか?ありがとうございます。じゃあ一緒に行きません?」

 有給がたんまりあり余っていた事もあるが、それよりも楪と一緒にいるための口実には丁度よかった。

 ガイアのソールからテラに戻るだけでも、 20 時間近くかかる。それは船の中であったり、馬車の中であったりしたが、朔の希望通り二人はずっと一緒だった。テラのギャベラン国に着いたのは、陽が傾いてから随分と経ってからだった。夜中、である。

 再び宿を利用することとなり、朔は楪の泊まるホテルに案内された(長期滞在用に、個展開催中はずっと部屋をとっていた)。空き部屋があったので、朔はそこに宿をとる。

 夕食を共に食べ、ホテルでそれぞれの部屋に帰る時、楪がひっそりと漏らした。

 

 

「先生、本当にありがとうございました。先生のおかげで、何だか、少し世界が変わったきがします。ちょっと、気持ちが軽くなったというか。」

「どういたしまして。君に笑顔が増えるなら、それに勝る喜びはないよ。」

 楪が笑った。昨日と今日で一番柔らかな笑顔だ。

「先生、あの。握手して下さいませんか?」

 改まって言うのでどうしたのだろうかと思いつつも、右手を差し出す。楪は朔の手を、両手で優しく包み込んだ。瞳を閉じて、また開く。

「先生が、この先、より素敵な人生を歩めますように。もしも何か困難にぶちあたった時、私がきっと力になります。私を助けてくれたように、私も先生を助けたい。先生の願いを叶えたい。だから、私に出来ることがあったら、何でも言って下さい。」

 私がきっと力になる。と。そう君が、言ってくれるのであれば。

 朔は、左手を楪の手に重ねた。目を見つめて、伝える。

「だったら、ゆず。俺のこと、好きになって。それが俺の願い。」

 こんどこそ、ちゃんと伝わっただろうか。

 楪の頬が赤くなっていくのを見て、きっと伝わっただろうと核心を持つ。

「わ、私、その・・・」

 あれ?と。このモジモジ具合、もしかして、既に俺のこと、好きだったりする?

「私、先生のこと、・・・す、好きです。か、か、・・・かなり、好き、かも。」

 ビンゴ?!これは、遂に俺にも春が来た?!

「なんていうか、その。兄に対する気持ちに近いっていうか。」

 ・・・ん?

「はは、先生は赤の他人なのに。変ですよね、すみません。」

 兄に対する感情?え?それ、・・・え?

「で、でも!先生には迷惑かけませんので!もし先生に彼女が出来ても、邪魔しませんから!静かに引っ込んでますから!」

 言いたいことだけ言って、顔を真っ赤にしながら楪は廊下を駆けていった。朔は取り残された。物理的にも、感情的にも。

 

 ゆずの『好き』と俺の『好き』、多分、違う。

 また伝わらなかった。それだけは、分かった。

 

2014 January 18 芹沢アツキ


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