兎が海に溺るるが如く

第11話 その後

 

 

「はい、メルカ」

 朔の匣(はこ)、つまり情報端末から音楽が流れた。この音楽は、楪の着信。

『あっ、あの、楪です。・・・あの、今お時間よろしいですか?』

「うん、いいよ。どうしたの?」

 楪からの、思わぬ連絡。用件は分からなくとも、胸が騒ぐ。

 楪への3度目の告白も失敗に終わったが、朔はそこで諦めるような男ではなかった。既に引き返せないところまで来ていたし、なにより楪が自分のことをどう思っていようと、それが楪に対する思いに変化を与えるようなものではなかったからだ。

 楪はまだ朔へ恋愛感情は抱いていないようだったが、それでも、慕ってくれているのは分かった。これはこれで良しとして、更に発展させれば良いだけなのだ。朔はポジティブに捉えることにした。

 楪の声を聞くのは、ラノワールで別れたとき以来。朔は半日ほど楪の個展を見て焔へ戻り、楪は個展の全日程が終了するまでラノワールに滞在していた。その後すぐにミスティックの指令を貰い、任務に赴いた(この時に1度、診療をすっぽかされた)ため、実に2週間ぶりだ。

『あの、先日はどうもありがとうございました。お陰さまであれこれ終了して、今ようやく焔の家で一息ついてるところです』

「いいよ、気にしないで。俺が好きでやった事だから。ゆずとの旅行もなかなか楽しかったしね。ハプニングもあったことだし?」

『そ!その件は忘れて下さいってお願いしたじゃないですか!』

 動揺するのが分かっていたので、あえて話題に上げてみた。案の定。

 慌てる様子がとても微笑ましい。きっと匣の向こうでは顔を真っ赤にさせているんだろうな、なんて考えながら。

『あの、えっと、実は、‥』

「ん、何?」

 気を取り直し、改めて本題に入る。

『あの!今回のお礼も込めて、一緒にお食事はどうですか?』

「・・・・・・・・えっ?」

『あ、いえ、ご、ごめんなさい。嫌ならいいんです。だったら何か他のお礼の方法を考えますので・・・』

「ありがとう、是非行くよ。君に誘ってもらえるなんて幸運、想像すらしてなかったからびっくりしたんだ」

 いやいや、幸運なんて。という謙遜の言葉が、向こう側から小さく聞こえた。

『いつにしましょうか?先生のご予定に合わせます』

「そうだね‥ 21 日はどう?その日俺、早番だから」

『はい!分かりました!時間はー−‥』

 医務室。出不精であわよくば診察をすっぽかそうとする楪を捕まえておくために交換した匣のコード。

 もちろんそんなの口実に過ぎなかった。

 最初はまた何か怪我でもしでかしたのかと思い自分の席で応答した朔であったが、私用の内容だと分かっても席を立つ気配などない。医務室のメンバーは当然聞き耳を立てているが、むしろ彼はどうぞ聞いてくれと言わんばかり。声のボリュームを下げる気配すら見えない。

「うん、うん。それじゃ、 21 日の夜 7 時に。うん。君も。」

 通信を終え、匣の蓋を閉める。

「何よ〜メルカくん?いつの間に『ゆず』なんて呼ぶ仲になったの?」

「最近やけにご機嫌だとは思っていたけど、何があったのか話しなさいよー!」

「この男の相手は大変だと思うんだけどな〜・・・楪さん、毒牙にかかっちゃったかな」

 朔の容姿である、言い寄ってくる者は性別問わず(ここは残念でならない)大勢いた。しかし、朔は誰とも親密な関係になろうとはせず、シウシン城に着任して 5 年、恋人はいなかった。それが楪の出現以来、彼の視線の先にあるのはずっとただひとり。

 以前、朔はさらりと自分は彼女と出会うために焔へ来たのだと言った事があるそうだが、それが本当なのかそれとも単なる後付けなのか、分かる者はいない。

「ということなので、俺、 21 日は絶対、何があっても、残業せずに帰るからよろしく。医者が足りなくなったら病院から派遣して貰って」

 普段からキラキラしていることは周知の事実だが、オーラの量がいつもの数割増し。嬉しいのだろう、それも相当。

「メルカ先生、楪さんと食事ですか?いいな、僕も連れてってくださいよ」

「もし来たらこの先君が生死の境を彷徨ったとき、俺は躊躇なく見捨てるよ?」

 言葉とは裏腹に、何を言うにも朔は笑顔。どんな仕事を任せようが、終止ご機嫌。「ごちそうさまです」と、ミカ達は心の中でつぶやいた。

 

 一方の楪も、気分は上々。

「よっし・・・!」

 匣を閉じ、両手を大きく天に伸ばす。

 他者と深く接することは未だに苦手であった。しかし、朔には既に全幅の信頼を置いていた。

 最初から、彼は違っていたのかもしれない。自分の警戒を解くために、危険を理解しながらも、他人でしかない私に諱を教えてくれたのだ。

 兄のように慕っているエムが、かつてそうしてくれたように。

 エムは男性だが、兄であり父であり、もっとも心を許せる人物だった。子どもの頃なんか、彼のおやすみのキスで眠っていたくらいだ。そんなこと今でも続けているわけではないし、誰にも言わない、楪とエムと、彼のパートナー芙蓉の3人しか知らない秘密。(そんな話をロンやルーの耳に入れでもしたら、死ぬまでエムは笑いものにされるだろう)

 あの日あの夜、確かに自分が夢うつつの状態で言った事としでかした事は非常に申し訳ないとは思うが、エムと同じ温もりを感じたことは確かだった。正確に言えば、エムとは違う温もりのような気もするが、楪にはどう違うのかはっきりとは分からない。

 何故自分がこんなにもウキウキしているのか。それは、彼に会えるから。では、何故会えると嬉しいのか?

 無意識的に、楪はそれ以上考えることを放棄した。

 自分の中でその確たる理由を掴んでしまうことに、恐れをなしたのかもしれない。

 

* * *

 

 その日仕事の間中ずっと、朔は時計を気にしていた。心の所在はないようでいて、それでも溜まった書類は次から次へと減っていった。そして、時計の針が 18 時ちょうどをさしたのと同時に、朔は立ち上がる。

「じゃ、時間になったし、仕事も綺麗に片付いているし、帰ります」

 朔のとびっきりの笑顔を見て、厭らしくミカが言う。

「ユズってミスティックの癖に純粋だし、きっと男と遊んだ経験ないよ?メルカ君、お手柔らかにね」

 朔はさきほどと同じ笑顔で「ははは」と笑っただけだった。…どういう意味だ?などと、誰も聞けないまま彼は帰る。

 予定時刻まで、あと 1 時間。先日チェーン付けを頼んでいたプレゼントを取りに行って、それから向かっても少し早く到着するだろう。そのくらいで丁度いい。

「・・・あれっ?ゆず?」

「・・・あれっ?先生」

 宝石店から出たところで、待ち合わせの相手と遭遇。

「これからレストランに向かうところだったのに、まさかここで出くわ・・・」

 朔が言葉を詰まらせた。その視線の先にあるのは、楪・・・の、胸元。

 大きく開いた襟からは、形の良い鎖骨が顔を出していた。そして、豊かな胸の盛り上がりがそこにはしっかりとあった。ウエストに大きいリボンの付いた清楚なワンピースは、いつもの楪らしさもそのままに長所を限りなく引き立てていた。

「どうかしました?・・・やっぱりこの服、似合ってないですか?」

 そう言って足下を見るため屈むと、胸元の隙間から谷間が見えた。

 慌てて周囲を見渡す。他に見た男はいないか。・・・数人と目が合った。ちくしょう。

「い、いやいや!よく似合ってる、凄く素敵だよ!あまりにも可愛いから、見とれちゃった」

 帽子を深くかぶりなおし、萎縮する楪。帽子に頭をぐいぐい押し込めようとする楪の手を制止しながら、朔は思う。この帽子も、顔を隠すよりも日光を遮るくらいしか出来ない小さなものだ、と。

 これまでの楪は、外出の時には必ずマントを羽織っていた。それは、自らの姿を隠すためだった。服だって、極力肌の露出の少ないものばかり選んで着ているようだった。

 しかし今日はどうだ。顔は見えるし、胸元だって目を引く。スカートは膝丈、すらりと伸びた足が美しい。

 自分が見る分にはいい、大歓迎だ。しかし、つまり、この服で外出したということは、他の男の目にも触れてしまっているということだ。・・・悔しい。

 ちらりと周囲を伺う朔の視線が気になり、楪も後ろを振り返る。垂らされた長い髪の隙間から、肩甲骨が少し見えた。

 あ、あ、あ!なんということ!背中も肌がのぞいているじゃないか・・・!

「ゆず、何か心境の変化でも?」

 帽子を取って、はにかみながら楪は言った。

「なんか、この前、先生に励ましていただいて、ちょっと吹っ切れたっていうか。人の目ばかり気にしていてもいけないなって。だから服装も少しずつポジティブにいこうかと思ったんですけど・・・」

 とても良いことだ。しかし、こうなればこうなるで心穏やかではいられない。

「そうだね、でもまだ日差しがあるから、帽子は被っておいたほうがいいよ」

 せめて自分にできることと言ったら、下心ありありの助言をするくらいであった。

 

 

「すみません、私食べ歩きってあまりしないので・・・」

 そう言って楪が案内した店は、繁華街よりも少し離れた路地で、存在を主張しないままにひっそりとあった。 2 階建ての店内も狭く、 4 人がけのテーブルが合わせて10あるかないか、くらいであった。

あまり人に見られることを好かない楪には好都合だったのだろう、すっかり常連のようで、「いらっしゃいませ」のあとに「今日はデートなのね」とつっこまれていた。

 二人は2階の席に座る。

「先生、お仕事大丈夫でした?」

「うん、君に折角誘われたんだもん、遅刻するわけにはいかないでしょう。平気だよ、きちんと片付けてきたから」

「それならいいんですけど。わざわざ時間を割いてくださってありがとうございます」

 微かに顔を傾けて会釈する楪。

 料理は楪がひととおり注文した。これ、おいしかったですよ。これ新しいメニューだ、頼んでもいいですか?そう言いながら。

「ゆずも個展と、お仕事お疲れ様。やっぱり生を見られてよかった。全然違う。見に行けてよかったよ」

「ああそうだった、それもお礼を言わなくちゃ。先生とは初めて会った時からお世話になりっぱなしで。本当にすみま・・・ありがとう」

「いいよいいよ、全然気にしないで。こっちはゆずのお世話が出来てとっても嬉しいんだから。なんなら一生お世話させて?」

「今日はそのお礼のつもりでお誘いしたんですけど、ここのお料理を気に入っていただけると有り難いです。」

・・・でも、これくらいでご恩は返しきれないですけど。楪は付け加えた。

「じゃあ、今度はゆずの手料理が食べたいな」

 超秘密組織・楪ファンクラブから流れて来た情報によると、楪はどうやら料理が上手らしかった(流れて来ている時点で『秘密』ではない)。どこからそんな話を仕入れたのかは知らないが、パスタもパンもジャムも、全て自分で作れるのだという。

 たしかに、往診の際に淹れてもらった紅茶と手作りの茶菓子はとても美味しかった。

「私の手料理?そんなものでいいんですか?」

「そんなものじゃないよ。それがいいんだって」

 情報は流れてきたが、実際に目で見て食した者の話は聞かない。出来ることなら、自分がその第一人者になりたい。

 楪には価値のないもののように思えたが、あまりにも朔が瞳をキラキラと輝かせるので、不思議ながらも了解する。

「だったら、医務室の皆さんもお呼びしませんか?ミカ先生たちにもお世話になってるし、ポツンと建ってる私の家なら気にせず騒いでいただけるし。」

「そ、・・・・そういうことでは・・・ないんだけど・・・」

 二人きりで、家で、手作りの料理を。朔が求めているのはそういうシチュエーションだったのだけれど、朔の想いを理解していない楪には分からない。

「うん・・・それでもいいよ・・・凄く楽しみにしてる。ありがとう・・・」

 うなだれつつも、嬉しいことには変わりない。

「あ、そういえば」

 彼はそう切り出し、細長い箱を取り出した。楪の髪と同じ、青いリボンが巻いてあった。

「君にプレゼント。開けてみて?」

 何の約束も話もなかった楪はびっくりしつつも、リボンに手をかけしゅるりと解く。中には華奢なネックレスが1つ。

「これ、私に??」

 口角を上げて優しく微笑む朔は、気に入ってくれるといいけどと言った。

「私、・・こんなもの貰ってもお礼のしようがないのだけど・・・」

「気にしないで。俺がいいと思ったから、君に贈る、それだけ。君に似合うと思ったから。」

 ペンダントトップには、透明な宝石が付いていた。細かいカットが光を複雑に反射して、七色に光っている。宝飾具に詳しくない楪には、これが何の石なのかは分からないが、とても美しいことだけは分かる。

 朔を見ると、どうぞ、と微笑んだ。

 箱から取り出し、首に付ける。普段アクセサリーは指輪とピアス、それもあまり目立たないものしか着けていないので、何だかくすぐったい。

 どう?と再び彼を見ると、満足げに「よく似合っている」と言って、やっぱり笑った。

「今日はこれを渡すって決めてたんだ。ちゃんと渡せてよかったよ」

 楪も実は、1つ決めてきたことがあった。 

 

2014 January 19 芹沢アツキ


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