兎が海に溺るるが如く

第12話 気付いて

 

 

食事のあと、朔が家まで送ってくれるというので、甘えて送ってもらうことにした。ひとりの夜道が怖いのではない。楪にはまだ伝えていないことがあったからだ。

「あの!」

 到着に近づき、そろそろお別れの時間だ。さよならの言葉が朔の口から出る前に、楪は切り出す。足を止め、彼の手を掴む。いつかと同じ、骨ばった感触。

「どうしたの?」

 片手を掴み、足を止め、俯いたままの楪に声を掛けた。

 楪の頬は、街灯が照らしたにしてはちょっと赤すぎる。朔は向き合って、もう片方の手も繋いでみた。まるで別れを惜しむ恋人みたいだ、なんて思いながら。

「あ、あの・・・」

 楪が決めてきたこと。それは、朔にあることを伝えることだった。

「何かあった?」

 子どもに優しく語り掛けるように、朔は聞く。

「えっと・・・。」

あることとは、楪の諱。

諱とは、魔力を持った名前。悪意を持って呼べば、その者を殺すことさえできる呪詛に変わる。

 はじめて楪が城に転がり込んできた時、朔は楪の警戒を解くために、ほぼ初対面であるにも関わらず自らの諱を教えた。

 朔は楪に命を預けたのに、一方で楪は朔に何の対価も渡せていない。そのことが、ずっと楪の心の中にくすぶっていたのだった。

 彼のことは、信頼している。悪用などするはずがない。

 顔を上げ、朔を見る。そこには、いつもと変わらぬ綺麗な顔があった。なに?と楪を見つめている。

「・・・ウルスラ。」

「え?」

「私の名前。・・・諱。先生には伝えておきたかった。」

 伝えておかなければならない気がした。下を向いて、続けた。

「先生には迷惑かもしれないけど・・・でも、私だけ知っているのはフェアじゃないと思ったから・・・」

 これ以上は恥ずかしくて、彼の顔が見れない。でも、どんな顔をしているのかは気になった。

 少し考えてから、ちらりと顔を盗み見た。そこには、目を細めて微笑む朔がいた。

 繋いでいた手に力が入る。

「・・・ありがとう。迷惑じゃないよ、とっても嬉しい。」

 ”迷惑じゃない” その言葉に安堵し、楪も微笑む。

 金色と銀色の瞳を煌かせながら、彼は楪を引き寄せた。そして、ありったけの想いを込め、その名を呼ぶ。

「ありがとう、ウルスラ。」

 

君の事が好きなんだ。愛してるんだ。愛しくて愛しくて、ただ会って話をするだけじゃ足りないんだ。抱きしめて口付けをして、心も体もいつでも近いところにいたいんだ。

 

 深い青の前髪をかき分け、出てきた額に口付けを落とす。

「・・・・・あれっ?」

 気づいたら、楪の顔に笑いは消えていた。何かが弾けたように、密着していた朔の体を突きとばす。

「どうしたの?」

「ど、・・・どうしたのは、こっちの台詞!何、今の!?」

 楪は今にも泣きそうな顔をしていた。が、赤い。ものすごく赤い。ついでに瞳もいつもの深い青ではなく、紫や濃い赤に揺らいでいた。酷く動揺している事は分かるが、何故動揺したのかはいまいち判別がつかない。 正確に述べるなら、朔は楪の動揺の理由は分かっていたけれど、知らないふりをした。

「今の、って、何?ごめん、突然キスしたのがいけなかった?」

「そうじゃなくて・・・っ!いや、それもどうかと思うんだけど!」

 楪は先程朔にキスされた所を押さえつつ。

「何ですか、今の、名前呼んだ時の・・・気持ちっ!」

 諱は、呼んだ者の感情を伝える。

「だって君の事が好きなんだもの」

 言葉では伝わりきれない想いだって伝えるのが、諱。

再び楪の手を取ろうとするも、避けられてしまう。

「好きって、どうしてそういう『好き』なの?!」

「そういう『好き』じゃ駄目なの?」

「わ、私の『好き』と違う!」

「それじゃあ、君は俺と同じ『好き』になってくれない?」

 先生の事は、兄に対する想いと同じ『好き』だった。

 そのはずだった。

「・・・困る」

「どうして困るの?」

「そんな風に思ったことはなかった」

 優しく、楪を諭すように言う。微笑んではいたが、朔の目は真剣だった。

「では、そんな風に思うようになって。」

 ここでようやく楪は理解する。彼は私と自分の好きが違っていることを知っていて、わざと名を呼んだのだと。

 

 私に気付いて欲しかったのだと。

 

2014 January 19 芹沢アツキ


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