兎が海に溺るるが如く

第15話 オルトロス

 

 

 朝8時。楪の1日の活動が始まろうかと言う時に、 彼はやってきた。

「おはよう!今日も良い朝だね!」

 そう言って抱きつこうとするのを、楪は扉を閉める事で避けようとしたが、隙間に足を入れられてしまう。

「待って!ユズ!どうしてあの医者は良くて僕は駄目なのか、ちゃんとした説明を貰えるまで帰らないよ!」

「・・・はぁ。取り敢えず宗世、上がる?」

 

 月が欠けだす前にマギをある程度使ったことが功を奏したのか、それとも朔に手を繋いでもらっていたことが良かったのか、昨夜は嘔吐することはなかった。頭痛もまだ残ってはいるが、昨日に比べたらかなり回復しているように感じた。

「取り敢えず、紅茶でいい?もうミルク入れちゃったけど」

「ああ、お構いなく。・・・へぇ、ユズ、こんな家に住んでるんだね」

「勝手に扉開けないでね?」

「君の部屋着も初めてだなぁ。・・・ちょっと露出多くない?今君に抱きつきたい衝動を抑えるので必死なんだけど」

「・・・そんなこと知らないわよ。自分の家なんだから、何着てたっていいでしょ。ほら、ソファに座る!」

 やや乱暴に置いたティーカップとソーサーが、かちゃんと音を立てた。

「それで?何しに来たのこんな朝早く。・・・昨日の魔物の件?もしかして私にも召集が来たとか?」

「さすがはユズ、勘が鋭くて助かるよ」

 そう言って宗世は 1 通の封書を差し出した。黒い封筒を開くと、中には想像通りの召集令状が入っていた。宗世と共に、オルトロスの事件の収拾にあたれ、とのことだ。

「これからサジュマン城に向かおうと思ってるんだけど、君も一緒に行くかい?もしまだ体調が優れないのなら、僕 1 人で何とかするけれど」

「ううん、大丈夫。多分私がいないと意味のないことがあると思うから。・・・用意してくるから、ちょっと待っててくれない?」

 退室しようとする楪を、「ここからが一番大事な話なんだけど」と、宗世は引き止めた。

「ユズ、どうしてあの医者の男にキスなんかさせてるの?」

「・・・偶々です。許してなんかいない」

「まさかあの男と付き合ってるのかい?不純すぎるぞ!」

「付き合ってないしそもそも不純なのは宗世の方!いい加減交際相手を 1 人に絞れ!」

 

 9 時過ぎ、2人はシウシン城へ出発した。楪の家からシウシン城までは距離があるので、徒歩と馬車では1時間はかかる。が、帚にまたがり空を飛んで行ったとしても、もう誰にも驚かれたりはしないだろう。ミスティックであることは既にばれてしまったのだし、以前みたく気を使う必要もない。

 帚でシウシン城まで行くのは初めてだったが、まさかの 15 分で到着してしまった。…これまでの苦労を考えると、なんだか空しい気がしないでもない。

「ユズ、ちょっと成長した?制服がきつくなってない?」

「身長も体重もずっと変わらないよ?」

「そうじゃなくて、胸がさ。今にもはちきれそうじゃないか。今度生で見せてくれたら、大きくなったか正確に分かるんだけどなぁ」

「宗世の息の根を止めてもいいというのなら、見せてあげましょうか」

「どうぞどうぞ!何なら今夜でも!」

「このド変態が」

 

 楪が宗世と出会ったのは、彼が 1 7歳、楪が 8 歳の頃だった。初めて話しかけられた言葉は「君、可愛いね」。それと、「大きくなったら僕のお嫁さんにならない?」だった。

 宗世は抜きん出た美貌と柔らかな物腰で、数多の女性を虜にした。複数の女性と同時に付き合うことなど容易くこなし、女性関係は常に切れ間がなかった。

 楪も幼い頃からずっと求愛され続けていたが、出会って数時間で「生物学上のありとあらゆる女を口説くのがこの男のライフワーク」と把握できた楪は、一度も宗世の毒牙にかかることはなかった。もちろん、これからもその予定である。

 

「私は M 機関ミスティック、『宗世』。こちらは『ユズ』。蘭国の指揮官にお会いしたいのですが、案内願えますか?」

 紫色の軍服。カラー部分には白金で作られた五芒星の飾りが3つ、輝いている。これは、召喚、魔法、刻魔全てを使いこなせるということを意味する。左の胸元には隊員番号の刻まれた隊員章である勲章と、翼を広げたコウモリを模した勲章が付いていた。後者は、「魔聖」以外の称号は受け付けない、ということを意味する。

 ミスティック、 M 機関は研究と世界の平和維持を主な活動としている。個人個人の力があまりにも大きいため、世界への貢献度はどこの組織の誰よりも高い。だが、その一方でむごたらしい事を行うのも事実。戦争の早期終結のため、多くの命を奪うことも少なくない。

 対極する二つの面を持ち合わせた彼等は、どちらか1つを取り上げられる事を嫌い、どんな名誉も貰わぬことにしていた。それが、表向きの、彼等なりのエゴだった。

 

 案内されたのは、楪が以前飛び込んでしまったベアントセンの執務室。あのとき割ってしまった窓ガラスは、綺麗に張り替えられ、高い位置のガラスはステンドグラスに変わっていた。

「昨日に引き続き、お世話になります、ベアントセン蘭国中将」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。・・・おや、今日は可愛らしいお方もご一緒ですか?」

「・・・お久しぶりです、中将」

 少し居心地悪そうにしていたのを、すぐにベアントセンに悟られたようだ。社交辞令的な敬礼をする傍らで、楪にウインクを飛ばした。なかなかお茶目なおじ様だ。

「・・・それで、早速本題ですが中将。昨日捕獲した魔物を使って試したいことがあるのですが、こちらの城のどこか一室、お借りする事はできますか?」

「もちろん。わが国にも関わることだ、喜んでお貸しいたしましょう。ご案内します。」

「有り難くあります。」

 宗世は M 機関式の敬礼をした。右手を握り、左胸に当てる。自国の敬礼とは作法が違えど、フェリンズという軍事国家の皇太子だけあって、さすがに美しい。

 

 案内された場所は、地下3階のとある部屋。薄暗く湿った廊下を通った先にあり、灰色の壁で囲まれていた。一面だけが黒い光沢のある素材でできており、反対に通ずる部屋から透視することが可能になっていた。部屋の採光は、4隅に設置された白色蝋燭灯。これは普通の蝋燭よりも明るく、呪文を唱えない限りどんな風が吹こうとも消えないという優れものであった。

「何かご注文はございますか?」

 質問に答えたのは、楪。

「中将、この部屋は密閉できますか?」

「もちろん。」

「それは助かります。これからここに昨日の魔物を『出し』ますけど、あなた方はどうなさいますか?」

 デュラントは、将校クラスの軍人3人と、5人の警備兵(何かあった時の伝令役も兼ねているのだろう)を連れてきていた。彼の後ろにいる男たちは、少し動揺しているのが見て取れた。無理もない、相手は魔物、それも3メートル級。しかしデュラントは、自らすすんで見学したいと申し出た。

「本当に?どうなっても知りませんよ?」

「ミスティック殿が2人もいて、それでも何かあったとしたら、その時は誰一人助かりませんし」

 まぁ、それもそうだけど、と思いつつ、やはりこのデュラントという男はちょっとどこか変わっている。自らの保身に走らないあたり、楪には好感が持てた。

「では、このままで始めましょうか。間近で見物したい方は、どうぞこのまま。そうでなければ、隣の部屋で見守っていて下さい。ああ、汚染されてもあとで浄化しますからご安心を。」

 最後に小さく「宗世が」と付け加えた。

 しかし、焔の軍を掌握するデュラントが一向に退出しようとしないのだ、将校も警備兵も、彼を置いては出られまい。青白い顔のまま、歯が鳴らないように食いしばっている様子を、楪は気の毒そうに眺めていた。結局は、眺めるだけ眺めて放置していたわけなので、彼らの気休めにすらならなかったのだろうけど。

 

 宗世が部屋の隅々に魔法を詰め、空気1モルすら部屋の外に出ない密室に変えた。準備は万端だ。

「それじゃあ、いきますか」

 宗世はポケットから白い、小さな箱を取り出した。厳重に包まれた中には、昨日楪がオルトロスを封じ込めた結晶が入っていた。箱を開けた瞬間は透明な色をしていた結晶が、外気に触れるとすぐに濁り、黒く重い光を垂れ流した。

「うわっ、漏れてる!」

 宗世は楪を見た。

「な、なによ。ちゃんと昨日、長くはもたないって言ったじゃない」

「・・・まぁ、しょうがないさ。念のためと思って結界代わりのこの箱に入れておいてよかったよ。ユズ、準備はいいかい?」

 宗世は黒い霧が溢れている結晶を手に取り、ふっと天井に投げた。小さな弧を描いて落下する結晶を指で弾く。すると、結晶は割れ、小さな点から黒い霧が噴き出すように、何かが溢れ出した。気体のようだった溢れ出したものはすぐに雲のような塊となり、もっと質量を持った塊となり、そして1分もかからず昨日見たオルトロスに戻った。

 威嚇し、大きく咆哮する。

 オルトロス、と呼ばれる魔物は、2つの頭を持ち、両方の口には光る鋭い牙。爪は鋭く、触れただけで衝撃を生じ、鉄板ですら八つ裂きにする威力を持っている。A級の魔物をこんなにも間近で見るなどという経験は、将校達も初めてなのかもしれない。楪、宗世、そして子どものように目を輝かせるデュラント以外の顔には、恐怖の色が見えた。

「我が名は楪。全てが生まれし地、赤目の民なり。」

 魔物は低く唸りながら、殺意に溢れる眼差しで楪を睨んだ。昨日仲間を殺され、自分はあんな小さな結晶に閉じ込められた憎しみを込めて。しかし楪は怖気づくどころか平然として、お返しの笑みすら投げかけた。

 魔物はそんな楪の様子に毒気を抜かれたのか、天井を見上げてから足下に鼻を近づけ、地面に腹をつけて座った。

『我が名はオルトロス。生まれは記憶にない。そもそも本当にオルトロスであったのかも、よく知らぬ。・・・なぜ我らの言葉が分かる、人の子よ』

「さぁ?私にも分からない。でもそれは、大きな問題ではないでしょう?」

 オルトロスは大きく笑った。…きっと宗世たちにはただ吠えただけにしか聞こえなかっただろうが。

『分からない‥だと?随分と面白い娘だな。』

「あなただって生まれが記憶にないんでしょう。よっぽどおかしいことを言っているわ。・・・私はあなた方に聞きたい事があるの。だからこうして話をしている」

 オルトロスには頭が2つあり、両方がそれぞれ知能を持っている。だから、楪が「あなた方」と表現したのは誤りではない。

『・・・よかろう。義理はないが、我らに分かる事なら答えてやろう』

「ありがとう、感謝するわ」

 

「‥驚いた。会話している‥のか?」

 楪が喋るのは、ガイアの神聖語。魔物が喋るのは、誰にも分からないはずの、魔物の言葉。それでも、楪は魔物と会話が出来ていた。

「そのようですよ。僕をはじめ、 M 機関にも魔物の言葉が分かる者はそうそういないのですけどね」

 殺戮を楽しむような魔物が、これほどまでに従順になるのだろうか。はたまた、言語を解する者がいる事が嬉しいからなのだろうか。

 楪はぱっと後ろを振り向いた。

「それじゃあ、これから尋問を開始するので、記録の用意を宜しく。」

『その前に1つ聞きたい。‥我らをこの後どうするつもりなのだ』

「残念だけれど、研究所送りね。」

『・・・・・・』

 何も隠さない答えに、魔物は声が出ない。顔を前足の隙間に埋めた。

「それでも、最後にはきちんと分解され、もう一度清浄な姿で生まれ落ちる事ができるでしょう。今のあなた方は汚染が激しすぎる」

 右の頭が声を荒げた。

『我らが望んだことではない!あの稚児にたばかられたのだ』

「でしょうね」

『お前はまさか、その稚児の仲間というわけか』

「違う。おそらく、私はその人物を追う立場にある。」

『・・・どういうことだ』

「あなたは多分、自然に発生した魔物ではないのでしょう?誰かに人為的に作られた魔物だと、私は推測している。そして、人為的に魔物を作る事は、世界の摂理に反する事。秩序維持のため、私はその者を止めなければならない。」

『だからその稚児の事を教えろ、というわけか』

 左の頭が楪を見つめる。

「その通り」

『…我らにははっきりとした記憶がない。それでも、我が輩は昔、こやつとは別に生きていた。』

『俺もこいつとは別に生きていた』

 2つの頭が語り出す。

『この地よりも西の国を歩いていた時、我が輩は何者かに襲われた。そして大きな黒い四角に入れられ、気付いたらこやつと同じ体になっていた』

『西の国。人族の間では「儡国」と言うそうだな。…それからは青色の水の中で、長らく生きた。あいつはずっと、我らを見ていた』

「・・・・・」

 楪は何も言わなかった。話を聞いていた。

『我らの他にも、青色の中に沢山の者がいた。死んだやつもいる。あいつに殺されたやつもいる。』

「あいつ、の名前は分かる?」

『モール・ワース。黄緑の毛と、黒い肌。あいつの脳天に喰らい付きたかった』

『貴様、あのような者を食うては穢れるだけだぞ。青の血を浴びると腐るという。』

『そんな事は知っている!それでも俺は、あいつに復讐したくて敵わんのだ!』

「やめたほうがいい」

 双頭の喧嘩に楪が口を挟んだ。

『人族の娘まで俺を止めるか!やはり同じ種族同士、肩を持つというのだな』

「そうじゃない。これ以上汚染されたらあなた方は魔物ですらなくなる。自我を失い、本能すらも失い、きっと魂もなくなる」

 楪は、宗世の方を振り向いた。

「何か分かったかい?」

「蘭国の西、儡国(ライコク)が怪しい。このオルトロスは、儡国の研究施設で人為的に生まれた魔物、合成獣。研究者は『モール・ワース』、黄緑の髪の毛に、黒い肌、青い血。すぐに『ソード』を派遣して貰って」

「了解。・・・青い血?」

「マギに過度の負担をかけ続けると、特異点で違う物質に変異する。それを魂が魔物に変わるのと同じように『堕ちる』と言うのだけど、やりすぎると、当事者も変異、つまり生きたまま『堕ちる』と言われている。その特徴が青い血。そして、それは国際法で厳しい罰則を定められている禁忌。・・・知らない?」

「悪いね、僕は君と違って魔法に関する英才教育を受けたわけじゃないからさ」

「私も本でチラッと読んだことがあるだけ。」

 オルトロスの言う「青色の水」とは、おそらくその血を利用した培養液だと思われる。自らの血液を媒介とした魔法はよく聞くし、合成獣を作る際には術者の血液を用いる事がオーソドックスな方法であると認知されている。…もちろん合成獣自体が国際法に触れるのだが。

 呼吸を乱し憤りを隠し切れないオルトロスに楪が言った。

「他に何か知っている事はない?モール・ワース以外に人は?」

『我らは賢い。しかしそれ以上は知らぬ。他にも数人の助手がいたが、そやつらの名は分からぬ。』

「わかったわ。ありがとう。」

 

 楪はその後、宗世やデュラントが投げかけた質問の通訳係となり、いくつかの質疑応答をおこなった。すべて聞き終えると、それでは、とオルトロスに言い、楪は腰から銃を取り出す。

 小さく何かを呟いてから、放つ。2発。

 昨日と同じく、オルトロスは光に包まれていったが、最後に地面に転がった結晶は昨日のそれよりも 一回り大きかった。

 結晶を拾おうと前に一歩踏み出す。

 くらり。

 膝の力が抜ける。視界がぼやける。どちらが天か、分からなくなる。

 くずおれかけた楪を咄嗟に支えたのは、宗世だった。

「‥やっぱりまだ本調子じゃないね。ちょっと休んだ方がいいよ」

 え〜と‥。私は今、何をしていたんだっけ?

 意識がはっきりしない。

「・・・あ。あれ?ううん、大丈夫。まだやる事あるし動けるよ」

「それくらい僕がやっておくから」

 腰をがっちりと掴んでいる彼の手を、優しくほどく。心配そうな顔の宗世に、精一杯の笑みで答える。

「大丈夫よ、私がする。結晶の組成式は私でないと書けないし、宗世は宗世でこれからやる事が控えているでしょう?ソードの指示もしなきゃだし」

「まぁ、そうだけど」

 

 楪・シセ。表向きは若き画家。裏の顔は、世界最高峰の魔法使い、ミスティックの一員。8つの歳で、自らの居所を襲った5000人もの部隊を1人で瞬殺し、その刑事責任と引き換えにミスティックへの入隊を果たす。隊員番号は、『死神』を表す13番。あどけない少女の顔には似つかわしくない番号も、彼女の所業にはお似合いと言うほかなかった。

 他方で、彼女の血筋もまた特別なものだとデュラントは推測していた。感情の起伏に合わせて色が変化する瞳と、花弁の模様を描きながら滲んでいく血。アスタウェルの、あの直系一族が持つ特徴そのものだった。本人は否定していたが、おそらくは自覚しているに違いない。

 そして今日。魔物と会話が出来る者がいる事くらいは知っていた。しかし、それは人族以外の者だとも聞いていた。いくら世界で指折り数えるほどの魔法使いといえど、いくら世界屈指の血筋といえど、目の前の少女は、どう見ても人族である。天上人だとしても、人は人。それにも関わらず魔物と会話が出来るなど。

 顔には出さないものの、楪・シセに対する興味は、潰えることを知らない。

 

2014 February 9 芹沢アツキ


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