兎が海に溺るるが如く

第16話 id

 

 

 楪は頭がグラグラするのを何とか抑え、 M 機関の研究部へ送る結晶の説明と添え状、それと本来の担当者であるベルへの手紙をしたためた。ベルは現在オキアで任務にあたっているため、今回焔へ来る事は出来なかった。

 結晶の解析は専門の研究員達がおこなう。これが初めてではないので大体の説明をつければ良いのかもしれないが、今回は合成獣。しかも随分と劣化していた為に、保護防壁を通常の倍にしてあった。

 また、魔法組成式というのは熟練者になればなるほど個性が強くなる。得意な回路、苦手な回路を把握し、最小のコストで最大の効果を生むため個人個人で創意工夫するからだ。楪の魔法もまた、教科書一辺倒のものではなかった。

 所属年数の長いミスティックは、以前送られてきた組成式のデータを参考にすればよい。しかし、楪はまだ在籍歴 10 年。研究部にある楪に関する資料も限られていた。解析がスムーズに行われる為には、いくら手間がかかろうとも全て書き起こして行く必要があった。

 ・・・ちなみに楪はこの作業が好きではない。

 事務的な作業を終えた時には、時計の針はすでに昼の1時を回っていた。別の部屋で作業している宗世の事など放っておき、1人で城の食堂へ向かった。

 昼休みのピークは過ぎていたので、食堂はすいていた。葡萄色の制服なんかを着ている楪はとても良く目立つと思っていたのだが、目立つも何も楪の他には数人しかいなかった。

 取り敢えずあっさりと食べられそうなサラダとスープとオレンジジュースを頼んで、楪は席に座った。さあ食べるぞ、と、手を合わせていると、目の前の席に誰かが食器を置いた。

「やあ、今日は制服なんだね。正式な任務?」

 朔だ。いつもどおり、さわやかな笑顔を携えている。ここの席座ってもいい?と聞くだけ聞いて、楪の回答を待たずに座る。

「こんにちは。はい、昨日の件で。先生はこれからお昼ご飯ですか?」

「うん。ちょっと仕事が詰まってて時間がずれちゃった。でもこうして君に会えたんだからラッキー」

「そ、そうですか・・・」

 トマトを口に運ぼうとして、朔と目が合った。

「ゆず、もしかして体調悪い?」

「え?」

「顔色があまり良くない。食事も控えめだし、・・・大丈夫?」

 朔が心配そうに顔を覗き込むので、楪は少し恥ずかしさを感じる。

「いえいえ、大丈夫です。もう月も欠けだしてるし、少し頭痛が残ってるだけ。鎮痛剤を飲めばいつもどおりに動けるので」

「鎮痛剤?あまり使いすぎると効きが悪くなってくるよ?この後時間あるのなら、ちょっと診てみようか?」

「や、そ、そんな。先生もお忙しそうですし、今日は私もまだする事が残ってるし」

 じゃあ、と言って、テーブルの上に置いていた楪の手に、朔は自分の手を重ねた。

「今ここで。」

 手を引っ込めようとしたが、朔がしっかりと握っている様子だったので、楪はすぐに諦めた。言い出したら聞かない、という彼の性格が段々と分かってきていたから。

 

 実際、朔の治療はとても良く効いた。頭の中に刺さっていた棘が1つ1つ宙に浮かんで抜けていき、そのまま霧散するように、頭の中のモヤモヤが次第に晴れていくように、痛みが軽くなっていった。

「別に俺、手間じゃないからね。いつでも声かけてくれていいから」

 気軽に呼べと言われても、楪には分かりましたとは言えなかった。彼の好意を利用している気がするからだ。

「難しく考えなくていいよ?行きつけの、馴染みの医者のところに行く程度に考えてよ」

 顔を上げると、いつもどおりの笑顔があった。なんだか、心を見透かされているようで居心地悪く思う一方で、彼の安定感のある心遣いに深い安堵を覚えたのも事実だ。

 

 なんだか、無性に彼にぎゅっと抱きつきたくなった。突然、そんな衝動が生まれた。自分でも理由が理解できなくて、俯いて顔を赤らめるしか出来なかった。

 朔は楪の変化に気付く。

「・・・どうしたの?」

「いっ、いえ、・・・別に。」

「本当に?」

「はい。な、何でもありません」

「本当に何でもないの?・・・何かやらしーことでも考えてたんじゃないの?」

「や・・・やらしいって、そんな!私はただ、」

 言いかけて、楪は後悔する。

「私はただ、・・・なに?その続き、早く教えてよ」

 ほら、と思った。追撃を許してしまった。

 

 言うべきか、否か。

 言ってしまったら、朔に希望を持たせることになるのではなかろうか。言わないなら言わないで、しつこく質問されるのではなかろうか。

「ユズ、何してるの?」

 酷く不機嫌な声に、楪は現実に引き戻される。

「しゅ、宗世」

「どうして君たち、手なんか重ねちゃってるのかな?ユズ、今朝この男と付き合ってるのか聞いたとき、否定してたよね?それがどうしてこんな状況になるのか、論理的に説明してもらえる?」

「・・・ち、治療です」

「治療?これが?手を重ねるだけで??」

「先生は龍族なので」

 じろり、と朔を見た。そして言う、ははーん、と。

「・・・なによ」

「君たちそういう繋がりだったんだね。なるほど、安心したよ」

「どう、どういうことよ、それ?」

 楪の隣の椅子を引き、どかっと座りながら。

「あのね医者の先生。ユズは複雑な生い立ちなんだけど、その中で龍族に育てられてねぇ。だから、龍族に特別な愛着があるんだよ。あーびっくりした、てっきりユズが君に好意を寄せているのかと疑っちゃったよ」

 出会ってその日にライバル認定を済ませた相手からそんなことを言われて、朔は面白いはずがない。

 反論しようと口を開いたが、自分より先に楪が喋りだした。

「そ、そんな風に言わないでよ!まるで私が先生のこと龍族だから好きみたいな言い方じゃない!」

「違うのかい?龍族だから彼のことをやたら気にかけてしまうだけなんだろう?」

「全然違うよ!やめてよ、先生に変な勘違いされるでしょ!私は先生のことはちゃんと1人の・・・

 は、っと我に返る。

 気付いた時には2人が真剣な顔で楪を食い入るように見つめていた。朔は目を輝かせて、宗世は酷く心配そうな顔をして、だけれど。

「先生のことはちゃんと1人の・・・なに?ちゃんと1人の『男』として愛しているってこと?」

「恐ろしいことを言わないでくれ。違うだろう、ユズは1人の『医者』として君のことを信頼しているにすぎない、と言いたいに決まっているだろう?何勝手に都合の良いように解釈しているんだよ」

 楪を置いてけぼりにして、2人は口論を始めてしまった。

「確かに俺のことを『医者』として全幅の信頼を置いてくれていることは身を持って感じるけど、それをわざわざ今、言うかな?それ以上の何かがあってこその発言に違いないよ」

「ちょっと待ちたまえ。『全幅の』信頼?それは些か言いすぎではないか?出された薬が毒でないと理解している、程度の信頼だろう」

「宗世君だっけ?君、性格悪いって言われない?ああそう言えば、いくら沢山の女性にチヤホヤされたって、自分の好きな子に振り向いてもらえなかったら全く意味のないことだからね。」

 顔は柔らかく微笑み合っているように見えて、言葉は全くそうじゃない。このまま放っておくわけにはいかないと、楪は声をかける。

「ちょっと、2人とも。もうやめようよ、そんな話どうでもいいじゃない。」

「「どうでもよくない!!!」」

「・・・声を揃えるなんて、お、思ったよりも宗世と先生、仲いいじゃん」

「「仲よくない」」

 またしてもハモる2人。

「「ゆず、結局のところ、どうなの?何て言いかけたの?」」

 2人が楪を見つめる。返す言葉が見つからず、楪も2人を見つめる。

 そういえば、宗世も先生も、2人して恐ろしく整った顔立ちをしているんだった。

 彫りの深い石膏像のような顔の宗世。野生味を帯びた顔の朔。2人の顔の作りは全く別のパーツを組み合わせて作られていたが、どちらともに眩しいほどの美しさがあった。

「ユズ、聞いてる?」

 ついつい、ぼーっと2人の顔を見つめていた。なかなか返答が得られないので、焦れた宗世が声をかけたが、我に返った楪は、2人の想像とは遠くかけ離れた返答をした。

「2人とも、綺麗だから見とれちゃった。」

「」

 突拍子のない言葉に、宗世も朔も、頭が冷えていくのが分かった。ちょっと、大人げなかったと、反省。

「・・・えーと、ユズ。こんなことを話しに来たんじゃなかった。」

「私に用事?すぐに行くよ」

「悪いね。・・・体調は大丈夫かい?もう少し休みたいなら、ちょっと待ってもらうことも出来るけど」

「問題ない、今先生に治療してもらったところだし」

 ・・・さっきの反省は撤回。こうやってニヤニヤしてるクソ医者を見ていると、反省などしかけた事自体、後悔の念がよぎる。

 楪がちょうど立ち上がった時、食堂の扉が小さく開いた。そこから半分だけ覗いた顔は、「お早く」と呟いて、そのまま扉の向こうに消えた。精巧に出来たお面のような顔。

「今の、ソードのエース?」

 宗世は小さく頷く。

「つまり、そういう事。」

 

 

 ソードのエース。

 M 機関にはミスティックだけでなく、彼等を支援する4つの課がある。ソードはその内の1つで、武力を持ち、間者や工作兵として細やかに働きかけることに特化している。「エース」というのは、階級とコードネームを兼ね、エース、ジャック、クイーン、キングの4名は特に強い力を持っていた。

「モール・ワースを捕らえました。オルトロスからの情報が役立ちました」

「それにしても早かったですね」

「我々は既に儡国に潜入していましたから。」

「私はこれから何をすれば?」

「確認と、正式な手続きを」

 

* * *

 

 再び地下へ案内される。先ほどオルトロスと会話した部屋よりも、5つ奥の部屋だった。

「尋問はこれからです」

 拘束衣、アイマスク、猿轡。それらを着用させられ、彼は立っていた。拘束衣は柱に固定されており、座る事ができない。

 モール・ワースはウェーブのかかった無精な黄緑色の髪と、焔の煉瓦よりも少し黒ずんだ肌をしていた。顔からは汗が垂れ、拘束衣にいくつもの汗のシミが付いていた。

 側に控えていた兵士、おそらく彼もソードの一人だろう、彼がモール・ワースのアイマスクを取ると、淡い淡い黄緑の瞳がこちらを睨みつけた。黒い肌に2つの血走った目玉。‥異様である。

「ここで拷問を?」

「いいえ。拠点に連行します」

 いくつかの足音が聞こえ、入って来たのはデュラントとその部下だった。

「宗世殿。これは‥」

「無断でこちらの部屋をお借りしています。事態が事態ですのでご容赦頂きたい」

 ふと、見知らぬ顔の焔州軍がデュラントの目に入る。

 こんな顔の兵士はいただろうか。彼らはデュラントのいぶかしむ視線にすぐに気づいたが、表情を変えることも慌てることもない。

「我々は M 機関の者です。内偵ゆえ、これ以上の詮索はお控え下さい」

 ただ、先回りしてそう言うだけにとどまった。

 M 機関というのは、ミスティックが所属する団体であり、世界の様々な事柄に関して研究をしている団体である。…そのくらいしか、関係者以外には知られていない。

「男の尋問は、 M 機関が担当致します。申し訳ないが、蘭国はここで手を引いて頂きたい。」

「しかし、我が国の国防にも関係してくる件です。せめて蘭国の立ち会いの元にしては頂けませんか?」

「それは出来かねます。この男はおそらく、貴官でさえ知ってはならない情報を持っています。 M 機関での調査が終わりましたら、必要と思われる事柄について蘭国へ報告書を送りますが、それ以上は法に触れます」

 

2014 February 9 芹沢アツキ


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