兎が海に溺るるが如く

第19話 再会

 

 

 戦争は一段落ついた。

 心の整理が上手にできず、思考に精細を欠いていた楪の代わりに、ベルがてきぱきとこなしてくれたからだった。

 元々今回の問題はベルが担当していた事もあり、戦闘が終わり蘭国軍が引き上げて行くのと時を同じくして、楪も彼より先に帰らせられた。

 戦場での約1週間は、血の臭いが途切れる事はなく、魔物の臭いも同じだった。

 焔州第1地区の兵士は戦地へは赴いていない。早期戦闘終結が出来た事と、第1地区というのが蘭国においてとても重要な位置にある、という事が関係してくるのだが、楪に詳しいことは分からない。

 焔の街はいつもどおりで、にぎやかに人が行き交い、人々は笑顔で会話していた。そんな様子に、楪は深い安堵を覚えた。

 

 変化はすぐに、訪れるというのに。

 

* * *

 

 

「ゆっ・・・?!」

「裂傷多数、意識レベル 300 !手術の準備は出来てるよな?!」

「も、もちろん!」

 

 楪が再び、シウシン城に運び込まれた。

 月が欠けたから?古傷が開いたから?

 どれも違う。

 

 ゼフォンに、会ったからだ。

 

 

 

 薬師のアルノルフが研修中の薬師2人を連れ、城近くの森へ薬草を取りに行った時だった。

 地震かと思うほどの地響きがあり、いくつもの木々がなぎ倒された。何事かと足を踏み入れると、ばらばらに砕け散った木と、血だまりの中で楪が倒れていた。

 呼びかけるも反応はなく、特に重症と思われる傷の応急処置をしてから、急ぎ城へ連れ帰った。

 

「ゆず!聞こえる?すぐ助けてあげるからね!」

 大きな声で呼びかけても、反応はなかった。 点滴用の血管を確保し、傷の確認の為衣服を剥がし。

「先生、目が!」

 うっすら楪の目が開いた。

「ゆず!ゆず!見える?俺!」

 聞こえていないようだったが、口元が小さく動き出した。何か伝えたいことがあるのかと耳を近づけてみるが、不明瞭で聞き取れない。

 それよりもこの傷を治療することが優先されたので、言葉の真意が分からぬまま、朔は手術の準備を進めた。

 傷口から溢れる血を試薬の入った試験管に採り、呪術解読班に渡す。

「あれ?メルカ先生、もう治療陣オッケー出した?」

「まだそれどころじゃないけど」

 床に目を落とすと、楪を中心として金色の魔法陣が描かれようとしていた。まだ未完成ではあったが、普通なら医師の指示がなければ治療陣を描くことも魔力を込めることも出来ない。

 担当の魔術医を見たが、本人すら驚いている。

 それでは、一体誰が・・・

 もう一度魔法陣を見たとき、朔はそれが治療陣ではないことに気がついた。円陣に描かれている言葉の中には、攻撃魔法の呪文の切れ端がいくつも埋め込まれていたからだ。

 はっとして、朔はもう一度楪の口元に耳をやった。

「・・・・・0010010111101110111011010101101・・・11・1000001011101101、000111110・・・・・・1101・・010100011・・・・」

 うわごとのように、「0」と「1」を繰り返している。

 足下の魔法陣に目をやりながら耳を傾けていると、あることに気付く。楪が「1」と呟くと魔法陣が小さく光り、少しずつ描かれていく。逆に「0」と呟いたときには、何も起こらない。

 まさか、と。

 楪は二進法を使いながら、魔法陣を描いているのではないか、と。

 楪が1人、頭から足の先まですっぽり入る大きさの魔法陣。そこまでの威力は持たないとしても、この部屋はらくらく吹き飛ばせるほどの魔法が発動するだろう。

 何故そんな必要が?・・・まだ誰かと交戦中と思っているのか?

「ゆず!ここはサジュマン城だよ!もう君が戦うべき相手はいない!」

 慌てて楪に問いかける。

「詠唱はやめるんだ。お願いだから」

 詠唱?と周りの医師達が呟いた。そして、何が起こりかけているのか、把握したようだった。

「もう君は助かったんだよ!」

 しかし、少しずつだが魔法陣は光を増していく。

 このままここを離れれば、治療にあたろうとしている者たちの命は助かるだろう。しかし、楪は確実に死んでしまう。だって、魔法陣の中にいるのだから。

 朔は深呼吸をした。そして、楪の耳元で、楪にしか聞こえない声で囁いた。

「・・・ウルスラ。」

 

 深く、眠れ。深い深い、意識の底で。俺が引き上げるまで、決して目を覚ますことなく。

 

 楪の口が止まった。未完成の魔法陣は、そのまま空気に溶けていった。

「よし、今のうちに・・・

「あいつは?」

 眠りに入ったはずの楪の口が、再び開いた。今度ははっきりと、朔の耳に届く。

「え?」

 楪はもう一度言う。

「あいつは死んだの?」

 血だらけの左手で、朔の袖を掴む。手の平から溢れる鮮血がケーシーに吸い込まれる。花の模様を描き、滲んでいった。

 血と同じ、紅い瞳で死んだのかと訊ねる楪への回答が見つからないままだったが、ふと、薬師のアルノルフを見た。楪を森の中で発見したアルノルフは何か知っているのではないか。すると彼も悟ったのか、頷いた。

「死んだよ」

 ようやく朔が答えると、楪は両手で朔を掴んだ。凄い勢いで、鮮血が朔のケーシーに花弁の模様を描いていく。この傷だらけの体のどこにあったのかというほどの力で握り締め、自らの上体を起こした。

「本当に?・・・ちゃんと、見た?」

 とても、不安そうな声。

「ああ、見たよ」

「本当に、首を、切り落とせていた?」

「・・・もちろん。ちゃんと死んでいたんだから」

 その答えを聞いてすぐ、楪の体からは力が抜けていき、そのまま意識を手放すと同時に、心電図のモニタが警告音を発した。

 

* * *

 

 時は一刻を争った。

 

 血が止まらなかった。しかし、楪には輸血が出来なかった。他人の血が混ざると、それによって血中のマギの性質も多少なり変化する。楪ほど高位の導師には、それは即ち死に直結するからだ。

 大きな治療陣の描かれた手術室。中心にある手術台に楪は乗せられ、医師 5 名、医療補助 10 名、その他薬師、解読師など合わせて 20 名の大手術となった。焔州の総合病院から、何人も応援を頼んだ。以前行った手術では、楪の素性がばれる訳にはいかなかった。だから城の医療班だけで手術をこなしたが、今回はその心配はなかった。

 むしろ前回よりも危険な状態であったので、きっとミスティックだと知られていなかったとしても、 そんな事を言っていられる状況ではなかっただろう。

 朔が第1手術医、ミカが第2手術医、医務室長のヤヌス・ヴェネディクトが魔術治療医として。

「ちょっと!血が止まんないわよ?!治療陣ちゃんと機能してる?!」

「付加呪術が遥かに強力で、これ以上は無理です!人数を増やしても、今度は被術者への負担が重くなりすぎます!」

「おい、呪術解読班はまだか?!」

「意識レベル低下!」

「セマイ・マイ 36 %、ペジュタ 18 %に上げます」

「ペジュタ 25 %にして。‥観察役、解読班がどこまでいってるか見て来て!くれるかな。解術しないとこっちは何も出来ない」

「は、はいっ!分かりました!」

「これより治療を一旦中止、解読が終わるまで止血に専念します。室長、ユートは魔術治療に切り替えて」

「でもそれだと解術時の反動が‥」

「今失血死するよりはましだ。‥リズ、アンブロシア 500 ミリ1本」

 ミスティック、それも瀕死。誰の命も平等だとは言うけれど、世界最高峰の導師の1人を相手に緊張しないでいられるものか。

 しかも、ただの病気や怪我であるならまだよい。楪の場合、高位の導師からの攻撃を受けていると推測される。傷に付加された呪術も、簡単には解読できない。これまでに経験した手術の知識は、殆ど役に立たないと言ってよかった。ミカやリズをはじめとする数人は、楪の手術治療の経験はあった。しかしそれでもたったの 1 回、慣れているわけではない。

 誰もが不安を隠し切れないでいる中、第1手術医の朔だけは毅然とした態度を貫いていた。

 

 朔・メルカは、 5 年前にサジュマン城へ赴任してきた。それまでの経歴は、誰にも知られていない。室長はおろか、本人でさえ聞かれてものらりくらりとはぐらかす為、正確に知っている者は医務室には誰もいなかった(室長は知っているのかもしれないが、推測の域を出ない)。外見年齢は 20 代だが、龍族の彼はもしかしたらここの誰よりも長く生き、長く医療に携わってきたのかもしれない。そしておそらく、彼の経歴について緘口令が敷かれているのかもしれない。

 ちなみに、テラの、少なくとも蘭国では異種族に対する偏見は少ない。

 

 しかし、彼の過去など知らずとも、確かなことがあった。

 焔州の医療に携わる誰よりも豊富な知識を持ち、誰よりも手術の腕が良い。

 それだけで十分だった。彼がここにいるだけで、彼から学び取れること、そして彼の手によって死の淵から生還できた者が多くあったのだから。

「メルカ先生!解読はあと数分だそうです!先にウィル解術師が‥」

「解術準備を開始します!」

「ウィル、解術は俺が主導でやるから。解読結果先に見せて貰える?」

 楪も助かるだろうか。    

 この優秀な医師が、助けてくれるだろうか。

 

* * *

 

 手術は 20 時間にも及んだ。

 

 結論から言えば、楪は助かった。

 

「お疲れさま、メルカ先生」

「お疲れ、ユート。折角の休日に呼び出して悪かったね。しかもこんなに長引いちゃって。・・・俺も力が足りないねぇ」

 疲れた声で笑いながら、朔はソファに腰を下ろした。丸 1 日ぶりに座るソファの感触は、これまでに横になったことのあるどんなベッドよりも柔らかく、すぐに眠りに落ちそうだった。

「そんなわけないじゃないですか!もしも先生がいらっしゃらなかったら、もっと時間がかかっていたどころか楪さんを助けられたかさえも危ないところだったんですから!・・・それに、非常に勉強になりました。ありがとうございました」

 手術の途中で中央病院から研修医を見学させて欲しいとの申し出があったが、そんな暢気な状態ではないと朔が突っぱねていた。そのため、今回の手術を間近で見ることが出来たのは、シウシン城の医務室勤務の者と、病院から手術の助手として派遣されていた者だけに限られていた。

 朔は目を瞑ったまま、軽く笑った。

「そんな大したことじゃないって。大丈夫、君だってそのうち良い医者になれるよ。」

「あ、ありがとうございます。・・・それよりメルカ先生、最初にどうやって楪さんの詠唱を止めたんですか?何か彼女の耳元で呟いたように見えたんですけど」

「うん、あれは俺とゆずだけの秘密。悪いけど漏らしちゃいけないんだ。」

「そうなんですか?それなら無理にとは言えませんけど・・・」

 呟いたのは、楪の諱(いみな)。簡潔に述べるなら、「眠れ」と、そう念じながら名を呼んだ。すぐ昏倒せず、聞きたいことはしっかり聞いてから眠りに落ちたあたりは、楪の執念と言うほかない。

「じゃ、俺はもう落ちる。寝てる間にゆずに何かあったらすぐ起こして。でも何もないなら起こさないでね・・・あと・・・まぁいいか、・・・起きてから・・・・」

 

2014 February 15 芹沢アツキ


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