兎が海に溺るるが如く

第20話 目覚め

 

 

 10 日経った。

 怪我は順調に回復しているように見えたが、楪は目覚めなかった。

「ナツメ、お疲れ様。交代しようか」

「メルカ先生、お疲れ様です。・・・今日も楪さん、起きないですね」

「そうだね。だって俺、まだゆずのこと起こしてないから。傷もあらかた回復したし、そろそろ起こしてみようかな」

 起こしてないから目覚めない。それだけのことなのか?

 まだまだ研修医という未熟な立場にある自分を、朔がからかっているだけなのか、大真面目で何らかの医学的根拠を元に言っているのか、はたまた適当なことを言っているだけなのか。悔しくもナツメには判断できない。

「せ、先生、これから楪さんを起こす・・・ん、ですか?」

「う〜ん、もういい加減ゆずの声が聞きたくなってきたし、起こしちゃおうか」

 そう言って、朔はナツメに代わり、ベッドの傍の椅子に腰掛けた。

 この人は、本気で言っているのかもしれない。ナツメは思った。

「・・・どうやって起こすんですか?」

「決まってるでしょ。お姫様を王子様が起こすっつったら、あれしかないでしょ〜」

 まさか、まさかのキス、ですか?

 2 人の仲は、城の内外で噂になっていた。噂は噂でなく、本当のことだったのだろうか、と朔の動向に注目していると、ふと朔が振り返った。

「ナツメ。部屋の外で待っててくれない?」

 この人は、本気だ。大慌てでナツメは退室した。

 

 

 さて、と。朔が言った。

「ゆず。」

 愛しい名前を呼び、指の腹で頬を撫でる。

 筋状の瘡蓋がいくつもあり、がさがさとした感触が伝わってきた。

 普段はすべすべで、柔らかいはずなのに。・・・はず、というのは、実際には碌に触った事がないから。

「そろそろ起こしてもいいかな。もう、君が動かない世界なんて、限界。」

腰を上げ、白いシーツに手を付いた。

顔を近づける。次はお互い同意の上で。そんなことを頭の中で考えながら、楪の唇に自分の唇を重ねた。

 

 唇を離した朔を追うように、すぐに楪は目を開けた。海のような、青い瞳が朔を捉えた。

「おはよう。・・・見える?メルカです」

「・・・先生?朔、先生?」

 久しぶりに、楪の口が声を発した。少しかすれていた。

「気分はどう?」

 刺激しないように問いかけたが、楪の表情は次第に固くなっていき、瞳の色も揺らぎ始める。

「ゆず・・・ゆず。」

 名を呼んだ。錯乱しているのか。

「・・・先生。」

 いや、ちゃんと分かっている。

 呼吸が乱れ、大粒の涙が零れた。

「ゆず。・・・もう大丈夫だから。」

 楪が、朔の前に両手を広げた。「抱きしめて。」そう言っているような仕草。

 頭に手を置き、上半身を楪の体に重ねるように倒すと、すぐに背中に回った楪の手が、朔の体をぎゅっと掴んだ。

「怖かった?」

 そう訊くと、楪が震えながらも頷いた。

 ミスティックでも、怖いことはある。 10 代の少女であることには違いないのだから。

 

 しかし、楪は何が怖かったのだろうか。

 死に掛けたこと? 10 日も意識が戻らなかったこと?人を殺したこと?

 

 どれも正しくて、どれも違った。

 

 それでも、どうであれ、朔が抱きしめて、頭を撫でてくれた。その行為のおかげで、楪は落ち着きを取りもどしていった。朔のぬくもりが、楪の恐怖を取り去ってくれた。

 

* * *

 

「どうぞ、入って。」

 扉を開けたのは、白銀の髪の男性。無愛想な表情。名をアルノルフと言った。朔が「アルノー」と呼んでいる薬師だ。

「忙しいのにごめんなさい。あの、あなたにどうしても聞きたいことがあって。」

「構わない。」

 アルノルフは短く答えた。楪が目覚めたら必ずお呼びがかかるだろうと、そう思っていたから。

「あなたが私を森の中で見つけてくれたと聞いたんですけど・・・どうもありがとうございました。お陰で死なずに済みました」

 彼の仏頂面を少しでも和ます事ができたら、と考えた楪なりのジョークだったが、アルノルフは目を細め、溜息をつくだけだった。アルノルフとしては、死んでもらっては困ると、そう率直に言ってしまいたかったが、いろいろと制限が掛けられているため安易に口には出来ない。

「えっと。その時のこと、・・・聞いてもいいですか?」

 ベッドの脇に座る朔と目が合った。「ああ。」とアルノルフは答える。

 楪が一度、唾を飲み込んだ。それから大きく息を吸って。

「私を見つけた時、他にも負傷している人はいた?」

「いた。」

「その男は、

 次の言葉。楪が最も聞きたいこと。もう一度、大きく深呼吸。

「その男は、ちゃんと、死んでいた?」

「無論だ」

「・・・本当に?心臓が止まっているのをあなたは確認した?」

 アルノルフが楪を見た。

「お前が殺したんじゃないのか?」

「私が殺したはず。・・・だけど、実感がない。嫌な予感がする。」

 震えている楪の手を、思わず朔が握った。

「ねぇ、アルノルフさん。死体、ちゃんと見た?首と胴が切り離せていた?血は出ていた?」

「ゆず、」

 朔が止めようとしたが、楪は続けた。

「人のかたちをしていた?」

「ゆず!」

 ようやく楪が朔の方を見た。

「・・・ゆず、どうしたの。ちょっと落ち着こう。ほら、指先がこんなに冷たくなってる。」

 楪の指を両手で包み込む。

「君が殺したんだろう?アルノーだって死体を見たって言ってる。」

 朔は真剣に、一語一語かみ締めるように、ゆっくりと楪に言った。少しの間を置いて、楪は朔の手を振りほどいた。そして笑った。あははと、大きな声で笑った。

「あんな男!母と、住む場所と、心の平和と。私のすべてを奪った男!もっと苦しめてやればよかった!首を切り落とすなんて一瞬で終わらすんじゃなかった!末端から少しずつ、時間をかけてゆっくりと切り刻んでやればよかった!!」

 また笑った。空虚な部屋に響いた。

「ゼフォン・バルツェル!あいつは死んだ!もういない!私の何ものも、あいつは決して奪えない!奪わせない!」

 朔が再び落ち着けと声を掛けようとしたとき。楪が朔に声を掛けた。

「ねぇ先生。でも、どうして?あいつは死んだはずなのに、どうしてこんなに胸騒ぎがするの?復讐は決して何も生まないけど、凄くスッキリするはず。でも、スッキリしない。何故?」

 

 こんなに不安で仕方がないのは何故?

 

「ゆず、お願いがあるんだ。」

 朔が、真剣な顔で言った。

「ゼフォン、って誰?もし君が良かったら、どういう関係なのか、教えて欲しい。この傷と、前回の傷とのつながりも、出来たら。」

 一瞬、楪は躊躇った。朔に教えてよいのか。教えることで、朔に何か不利益は生じないのか。

 そして、すぐ、ふ、と息が漏れた。こんなにも朔の手を焼いておいて今更何を、と自分で自分を嘲ったのだ。

「ゼフォンは、・・・どこから話せばいいのか。」

 ゆっくりと、楪は話し始めた。

 ゼフォン・バルツェルはかつて、楪の故郷で魔女狩りを謀った男だということ。けれど、初めて会った 11 歳のときにはその事を知らず、真実を知った 16 歳の頃には、既に親交を深めてしまっていたこと。ゼフォンを殺そうとしたが酷く動揺したために返り討ちに遭い、生死の境を彷徨ったこと。初夏の傷も今回も、ゼフォンにつけられた傷で、一時的にマギを奪われてしまう武器を行使されたこと。

 掻い摘んで話したが、気付いた時にはアルノルフの姿が消えていた。きっと、気を遣って退室してくれたのだろう。

 別に、同情して欲しいとか、叱責して欲しいとか、朔に対して特別の反応を期待してはいなかった。こんな重い話をされ、どう反応するのだろうか、いや、反応など出来ないだろう。ただひたすら、困惑するのではないだろうか。楪はそう思って、再び自分を嘲いかけた。

「ありがとう。」

 そんな時、朔がくれたのは、何故か感謝の言葉。

 え?と彼の方を見ると、いつも通りの優しい表情をしていた。

「君のことをまた 1 つ、知れた。ありがとう、嬉しいよ。」

「・・・嬉しい?何故?」

 思わず楪が聞き返した。

「君は責任感の強い人。自分が関わったことには、最後まで責任を持って結果が出るまで挑戦できる、立派な人間。ゆずは自分のことが好きじゃないみたいだけど、俺は、君みたいに外だけじゃなく内側も美しい人を好きになったこと、誇りに思うよ。・・・命を投げ出してまで自らの責務を全うしようとするのは、ちょっとやりすぎだけどね。」

 自分と違って、この男性は思いのほか恋愛体質なのだろうか。褒められ慣れていない楪は、照れ隠しに必死で返す言葉を探す。

「い、・・・命は、先生が助けてくれたわ」

「それはアルノーが偶然通りかかったから!ゆず、まえアリカ殿の墓前で言ってたろう、『刺し違えても』って。そこまでの決意はやりすぎって言いたいの!」

 そんな事、言ったか?と思い返す。すぐに思い当たる。

「よ、よく覚えてますね・・・」

「もうあの頃から俺の頭の中はゆずでイッパイだったからね」

「・・・やめてください、そんなこと言うの」

 窓を向いてか細く言うと、褒めなのかどうなのか分からないが「かわいいなぁ」と言いながら、また朔がくっくと笑った。

 

2014 February 16 芹沢アツキ


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